2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

「神の国は、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」

悪い農夫から取り上げたぶどう園は、収穫物を主人にきちんと納める別の農夫達に貸し出されます。悪い農夫はイエス様に反抗するユダヤ人、別の農夫とはイエス様を神の子と信じる新しい神の民−キリスト者の群−教会です。神の国にふさわしい実とはイエス様の教…

「神の国はあなたたちから取り上げられる」

イエス様は、祭司長達や民の長老に向かって「神の国は取り上げられる」と言われました。彼らは自分達が宗教的指導者として正しく責任を果たしていると考えており、神様に逆らっているなど思いもよらなかったことでしょう。しかし神の国は彼らから「取り上げ…

旧約聖書の言葉の引用

イエス様は「家を建てる者の退けた石が隅の親石となった。これは主の御業 私達の目には驚くべきこと」(詩篇118編22節・23節)を引用しました。退けられた石とはイエス様のことです。イエス様は人々に捨てられ十字架で殺されていくけれども、後になってイエ…

ブドウ園の主人が旅から戻ってきたら・・?

この問いに、彼らは「主人はこの農夫達を殺して、ぶどう園は収穫を納める ほかの農夫達に貸し与えられるでしょう。」と答えました。彼らは自分達がたとえの農夫の立場にいることを自覚していません。

神の愛と宗教的指導者達の反逆

主人は野獣からぶどうを守る為に「垣をめぐらし」、収穫したぶどうからぶどう汁を絞る為に「搾り場を掘り」、収穫を盗人から守る為に「見張りのやぐらを立て」ました(33節)。主人がぶどう園に必要十分な配慮をしたように、神様はイスラエルの民をエジプト…

たとえの意味

ぶどう園とはイスラエルの民、ぶどう園の主人は神様です。農夫とは、イスラエルの民を指導する責任を持った人達、しもべとは神様の意志を伝える預言者達のこと、主人の息子はイエス・キリストです。収穫とは人々の信仰の実・信仰の果実のことでしょう。

はじめに

今朝の聖書のたとえは、ぶどう園を作った主人が、ぶどう園を農夫達に貸して旅に出ます。ところが、収穫の時期になって収穫を受け取る為に遣わしたしもべ達は、農夫達に殺されてしまいます。主人は別のしもべ達を以前よりも多く送りますが同じように殺されて…

 21章33−46節

33 「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 34 さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ…

私達へのメッセージ

たとえの「弟」とは、自分を信仰ある者、神様の意志を満たしていると考えていて、実はそうでない者を描いています。自分の考えや感情、言葉だけで「神様」と言い、聖書の考え方に賛成をするのだけれども、神様の意志の実行には至らない人々です。「岩を土台…

たとえの意味

たとえの「兄」とは、徴税人や娼婦のように神様から与えられた律法を守らず、正しい道に従わず、神様への服従を拒否した人達でした。しかし兄が後で考え直してぶどう園に行ったように、彼らも後から神様の義の道を示したバプテスマのヨハネの声に耳を傾けて…

悔い改めのバプテスマ(洗礼)

ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けました。今迄の自分の生き方は、自分を第一に考え、神様を神様として認めず、自分の判断・自分の考えを優先し、自分自身が最高の位を占めていた。そのことを神様の前に罪として告白し、悔い改めることが悔い改めのバプテ…

イエス様の宣告

イエス様が言われたことは、「神の国には祭司長のような宗教的指導者達よりも徴税人や娼婦達が先に入る」でした。それは当時の人々の考えとは全く逆でした。祭司長や長老達は律法を守り、人々を教える立場です。それに対して徴税人や娼婦は、異邦人であるロ…

「どちらが父親の望みどおりにしたか」

イエス様のこの質問に、祭司長・長老達は「兄の方です」と答えました。誰が見ても明らかです。イエス様はその答えを聞いて彼らに言われました。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦達の方が、あなた達より先に神の国に入るだろう。なぜならヨハネが来て義の…

はじめに

今日の個所は、イエス様の方から祭司長達に「あなた達はどう思うか」と質問をしています。イエス様が語られたたとえは、父親が二人の息子のうち、兄にぶどう園に行って働くように命じましたが、彼は父親に逆らい「いやです」と断りました。父親は弟の方の息…

 21章28−32節

28 「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。29 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。30 弟のところへも行って、同じことを言う…

祝福への道

又、神様は、独り子イエス・キリストを通して私達をも選んで下さった。私達がどのような者であるにせよ、どのような過去を持っているにせよ、どのような弱さ・とげがあるにせよ、それは関係がありません。私共の暗闇の部分に向き合い、又、神様の祝福を願い…

パウロのとげ

しかしヤコブは腿(もも)を痛めて足を引きずっていました。弱さを持つ人間になったのです。それゆえ今、自分の力でなく神様に頼る人生になりました。恵みによって生かされる、神のものとなったのです。新しい朝を迎え、新しい人生を歩み始めたヤコブが一つの…

夜明け

その後、ヤコブは兄エサウと再会するのですけれども、このエサウはヤコブを赦して受け入れるという、実にほほえましい場面が出てきます。神様がヤコブを変えただけでなく更にエサウの憎しみをも変えて下さった。しかし{ヤコブが神様の祝福を重んじ強く願い…

ヤコブからイスラエルへ

ヤコブは神の人との格闘の末に名前が変わります。「もはやヤコブではない。イスラエルと呼ばれるのだ」と神の人から言われます。ヤコブという名前は「足をつかむもの」という意味で、ヤコブが生まれる時に、兄の踵(かかと)をつかんで生まれてきたのでそのよ…

祝福への執念

ところでヤコブはそのような格闘に勝ったのでしょうか。或いは負けたのでしょうか。 「ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿(もも)の関節がはずれた。『もう去らせてくれ。夜が明けてしま…

暗闇での格闘

ヤコブは義理の父・ラバンの家から多くの財産と大勢の家族を伴ってくるわけですが、そこには「長子の権利」を騙(だま)し取られ、悔しい日々を送っている兄エサウが待っていたのです。ヤコブはもうすぐそのようなエサウに会わなければならないのです。兄エサ…

暗闇

この暗闇は、ヤコブにとって彼の人生の陰の部分を表しています。彼の罪や後ろめたさがこの暗闇の中にあるのです。ヤコブは今、一人になって、この自分の陰の部分と一人向き合おうとしています。彼は兄エサウと父イサクを欺(あざむ)きました。エサウの「長子…

はじめに

夜明け前です。川の水の面も暗くひっそりとしています。この暗さの中で、ヤコブは自分の妻、側女、子供、牛・羊など向こう岸に渡して、今、一人になっています。ヤコブはずっと前に、何も持たずに父イサクのもとを発ちましたが、その間、時間が随分経つ内、…

 12章7b−10節

7b それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。8 この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度…

 32章23−33節

23 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 24 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 25 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 26 ところ…

優先順位

「何が本当なのか?」ではなく「何をいうのが安全か。」「どうすることが自分を守る道なのか」と、外側の権威を優先させて生きる生き方は、人を臆病にし、硬くし、悔い改めの機会を失います。彼ら達は真理の道に戻る機会を、自ら閉ざしてしまった人々でした…

「無知」を装う

人は常に曖昧性の中に自分の身を置こうとします。無難であり、自分を隠せるからです。本当にわからないものをわからないというのは正直であり、真実です。しかし彼らは「無知」を装いました。なぜなら自分を罪ある者としたくなかったのです。自分を罪ある者…

分りません

「天から(神様から)」と答えたならば、なぜあなた達は信じなかったのか、と問われるでしょう。何よりもバプテスマのヨハネがイエス様をメシア・救い主と認めていますので、イエス様を受け入れない彼らの信仰は自己矛盾に陥ります。一方、ヨハネの洗礼はヨ…

バプテスマのヨハネの洗礼は、天からのものか?人からのものか?

ヨハネは、今のままでは救われないこと、滅びが待っていること、それゆえに悔い改めの洗礼が不可欠であることを語りました。多くの人々が洗礼者ヨハネのもとで、悔い改めの洗礼を受けました。イエス様は、ご自分の言動の根拠を問い正す彼らに対して、ヨハネ…

イエス様のこたえ

イエス様は彼らの質問に正面からお答えになりませんでした。イエス様がなぜ神殿で商売している人々を追い出したのかといえば、神殿が、真の礼拝が行われるのにふさわしい場所でなくなっていた(宗教の堕落)からであり、イエス様の行為は、神の子として神様…