2008-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「復活の時には天使のようになる」

復活の時は、誰の妻とか誰の夫とか、人間が誰かに属している形で神の前に立つことはないことをイエス様は教えられました。コリントの手紙15章には「蒔かれる時は朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれる時には弱いものでも、力強いものに復活するの…

イエス様のこたえ

イエス様の答えは明快でした。「あなたたちは、聖書も神の力も知らないから思い違いをしている」。 ある神学者は、「今日のキリスト教の世界においても、この二つの欠乏(聖書を知る事の欠乏と神の力を知る欠乏)ははなはだしく、大体において考え方がサドカ…

レビレート婚

サドカイ派からのイエス様への質問は、モーセ律法の中にあるレビレート婚(申命記25:5以下に記述)を取り上げて、復活の矛盾をつくものでした。それは夫に死なれた妻が子供がなく残された場合、夫の兄弟がその妻をめとって子孫を残さなければならないという…

サドカイ派とは

彼らは主に祭司階級に属し、富があり、大祭司を選ぶ特権を持ち、保守的な人達でした。同じユダヤ教でありながらファリサイ派との大きな違いは、ファリサイ派が書かれた律法だけでなく口伝律法や習慣的規則をも重んじていたのに対して、サドカイ派の人達は旧…

はじめに

本日の聖書にはサドカイ派の人々が登場します。彼らはイエス様に質問をしますが、その目的は自分達の「復活はない」という考えを論証する為に、そして復活を語るイエス様の矛盾を指摘し、イエス様が答えに窮する姿を期待して来たのです。彼らのような、自分…

 22章23−33節

23 その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。 24 「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 25 さて、わたしたちの…

 3章13−15節

13 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。…

神の愛が電流のように

私達は今、「聖霊と火によって洗礼を授けてくださる方こそ救い主イエス・キリストである」と信じています。今は、受難節です。主の御苦しみをより深く心に刻み、主の苦しみは「私達、罪にあえぐ一人ひとりを救い出して神の御国へ連れていく為である」ことを…

イエス・キリストを指し示したヨハネ

さて聖書に戻りますが、洗礼者ヨハネが人々に悔い改めを勧めたのは、彼の後に来られる方の為でした。彼の後に来たのは、まぎれもなく福音そのものの御方、イエス・キリストです。しかしこの時、まだイエス様は現れてはいませんでした。ヨハネはまだ見ぬ救い…

罪を告白し、祈る

ではクリスチャンは一度罪を告白したらそれで良いのでしょうか。 確かに救いの為に必要な悔い改めは一度で十分です。けれども主イエス様が教えて下さった主の祈りには罪の赦しの祈りがあります。主の祈りを、私達は礼拝の中でだけで祈っていますが、礼拝の中…

集団から個人へ

旧約時代と新約時代はイエス・キリストを境にして変わりました。神の目は、集団から個人に向けられました。エレミヤ書では「背信の罪」はイスラエル全体のことでした。しかし洗礼者ヨハネのもとに来た人は、各々、自分の罪を告白し、悔い改めの洗礼を受けた…

方向転換

「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは(背いた)お前達をいやす。」(エレミヤ書3章22節)。神に背けるイスラエルの民に、神は大きな愛をもって悔い改めを(うながしておられました。再三再四呼び掛けられました「私に立ち帰れ」と。「立ち帰れ」とは、神に背を…

神の声を聞く

ここに隠されている真理は、人々が「自分の居場所から出かけて行って、福音を聞こうとした」ことです。私達も神の声を聞く為には慣れた生活の場所を離れなければならないのです。生活の変化を恐れたり、出て行くことにちゅうちょしていては、いつまでたって…

バプテスマのヨハネ

さて福音書の初めに登場するのは何とイエスではなく、道を整える者としての洗礼者ヨハネです。2節のカッコ内は旧約聖書の引用です(イザヤ書3章の他、マラキ書3章、出エジプト記23章)。洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)は偉大な預言者の再来として現わ…

神の子イエス・キリスト

今朝のマルコ福音書の冒頭は「神の子イエス・キリストの福音の初め」という一言から始まります。マルコの福音書の特長は、第一に「最初に書かれた福音書である」、第二に「誕生の記述がない」、第三に「イエス・キリストとは誰なのか」を速やかに語っていま…

祈り

クリスチャンになると祈ることを知ります。祈りの冒頭には必ず「天におられる父なる神様」と呼びかけ、最後には「イエス・キリストの御名によってアーメン」と祈ります。イエス・キリストの名前によって祈るなら、すべて父なる神様に通じていく。こんな素晴…

イエス・キリスト

罪とは「的外れ」という意味です。今、救われてクリスチャンになった私でさえ、かつては自己中心で傲慢な人間でした。私は無神論者の家庭で育ち、何で神を必要とするのかわかりませんでした。このような私に神が近づいて罪を示して下さったのは、生きる意味…

はじめに

天地を創造された神は人間をとても愛して下さり、親しい友人のような交わりを持ちたいと思っておられます。あなたは今、神とそのような交わりを持っておられるでしょうか。もし、私にとって神がとても遠くにおられる方であるなら、その神との交わりを妨げて…

 1章1−8節

1 神の子イエス・キリストの福音の初め。2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、4…

 55章6−7節

6 主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。 7 神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる

「神のものは神に返しなさい」

イエス様はさらに、「神のものは神に返すように」と求められました。神様は皇帝に属するものはお求めになりませんが、神様に属するものは求められます。ファリサイ派の人達は神様を唯一の主として礼拝しながら、神様に属するものを神様から奪っています。た…

イエス様の答え

イエス様は彼ら達の悪意を見抜かれ、税金を納めるデナリオン銀貨を持ってくるよう求められました。銀貨のおもてには、皇帝の肖像と共にテベリウス・神・アウグストスの息子という文字が刻まれており、裏に皇帝の母リビアの像と最高司教の文字が刻まれていた…

わなをかける

そのような背景のもとで、ファリサイ派の人々がイエス様の言葉じりを捕えてわなにかけようと納税問題を取り上げたのです。しかも彼らは立場の違うヘロデ派のグループと結託してやってきました。わなは巧妙にかけられました。「先生、私達はあなたが真実な方…

はじめに

当時のユダヤ人はローマの支配下に置かれていた為、国内の神殿税の他にローマ政府に納めなければならない人頭税(14歳{女子12歳}から65歳迄)がありました。申命記17章には「必ず、あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい。同胞の中からあなたを治める王…

 22章15−22節

15 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。16 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方…

「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(14節)

御言葉を聞く機会が与えられながら聞こうとしない人や、御言葉を聞いても素通りしてしまう人が多い中で、「選ばれる人」とは、御言葉を聞く機会を逃さず、聞くにふさわしい態度で聞き、聞いた御言葉にとどまる人です。御言葉にとどまり従っていこうとすれば…

ところが・・

その中に一人だけ礼服をつけずに来た者がいました。王はその理由を尋ねますが彼は答えません。礼服は、王の結婚披露宴の招待に感謝し、敬意を表すものです。逆の言い方をするならば、礼服を着ないことは、招いてくれた相手に、そして招待されたことに対して…

代わりに招かれた者

王は、『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々はふさわしくなかった。だから町の大通りに出て、見かけた者は誰でも婚宴に連れてきなさい。』と命じます。そこで家来達は通りに出て行き、善人・悪人問わず、誰でも招きましたので婚宴は客で一杯になり…

そこで王は・・

来ようとしない彼らに対して、王は はじめ忍耐をもって別の家来を使いに出しますが(4節)、彼らの応対を知った王は怒り、軍隊を送って町を焼き払ってしまいます。(これはローマ軍によって、紀元70年にエルサレム神殿が破壊され、徹底的に滅ぼされたことを…

招待を拒否

ところが彼らは、この光栄ある招待を断るどころか無視(5節)しました。一人は畑に一人は商売に出かけました。彼らは生きる為の経済活動を優先させました。その他の人々は家来を捕まえて殺してしまいました。人は、パンを食べなければ生きていかれません。畑…