2008-03-23から1日間の記事一覧

復活の主に出会う

復活の主に出会うという体験は、すでに初代教会の人達も実にさまざまでした。パウロは手紙で「私は主を見た。恵みによってキリストを私の内に示して下さった。」とありますし、使徒言行録には、ダマスコに向かう迫害者パウロが主に出会って徹底的に地面に打…

説教者が出来ること

「主が死の力に打ち勝ってよみがえられた。」「主は勝利をされた。」「十字架に架けられた主が三日目によみがえった。」そのことについて聖書はいろいろな証人の話を伝えています。説教者が出来ることは、その証人達の姿や体験を言葉でもって指し示すことし…

復活のリアリティ

しかし問題は、「復活した主を信じている」というだけではなくて、「復活した主が今も生きて働いておられる」「教会として働いておられる「私達に語りかけておられる」ということをどれだけリアリティをもって感じることが出来るのか、そこからどれだけ信仰…

主の復活を信じる

さて、復活の証人達が復活の主に出会った出来事から二千年近い年月がたっています。最初の証人達の姿でもわかるように「主が復活された」「死からよみがえられた」ということを信じることは古代の人達ですら難しかった。そのことは今も昔も変わらないのでは…

はじめは主であるとわからない

主の顕現の物語では、顕現に接した人々は初めそれが主であることが分らない。しかしそれが何らかのきっかけで、何らかのことが手掛かりにそれが主であるとわかり一転して喜びに満たされる。こういう姿を繰り返し伝えています。たとえば20章の後半には復活の…

キリストの顕現

マリアに対して、復活したキリストご自身が姿を現した出来事を伝えているのが今日の聖書の個所です。主の遺体があった所に、二人の白い衣を着た天使がいた。その一人が「婦人よ。なぜ泣いているのか」と尋ねたとあります。天使という超自然的な存在が出てく…

理解できず、信じることができない

「主のご受難そして死と復活」については、エルサレムに向かう途上で、イエスご自身、弟子達に三回も繰り返し教えていました。つまりエルサレムでは祭司長、律法学者、長老達から苦しみを受け、殺され、しかし三日目に復活する、と繰り返し語られていたけれ…

墓で起こったこと

墓のタイプの一つは崖っぷちの所に横穴を掘り、その中に寝台を置き、遺体を寝かせます。エルサレムには二千年前に遡る墓も残っていますが、その扉の入口には車輪のような大きな石が置いてあり、ころがして開けたり閉めたりします。私は試しに墓の石を押して…

主の復活の証人としてのマグダラのマリア

今日のヨハネ福音書は、主が十字架につけられ亡くなり、墓に葬られ、その後の週の初めの日(日曜日)の早朝、まだ暗い内に、マグダラのマリアが復活の主に出会った有名な出来事が記されています。ヨハネ福音書は特に主の復活の証人としてのマグダラのマリア…

はじめに

今日は旧約をエレミヤ書から選びました。この個所は預言者エレミヤに神様の言葉が臨み、万国の預言者として立てられるということを語った個所です。そのすぐ後に神様はエレミヤに「何が見えるか」と尋ね、彼は「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。…

 20章11−18節

11 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 12 イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 13 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか…

 1章11−13節

11 主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」 12 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと/見張っている(ショーケー…