2009-03-22から1日間の記事一覧

私へのメッセージ

私達すべてのものは霊的な意味で、生まれながら歩けない足を持ったようなものではないか。そして本当に願うべきことは「歩く」ことなのに、いつしか歩くことを願わずに、ささやかな施しで満足してしまうような、この男の人と同じような状況にあるのではない…

人々の驚き

10節には、これを見た人々が「我を忘れるほど驚いた」とあります。神様の業はまさに驚きの連続です。私達人間のなしえないことを私達の創り主であられる神様はなさることがおできになります。この信仰が、ここにおられる私達すべてのものに与えられることを…

大きな賜物

男が求めたものはささやかな施しでしたが、目を合わせて見つめた後に与えられたものは施しよりもっともっと大きな、彼にとって一番必要とする「命令」でした。「歩きなさい」という命令そのものが大きな賜物だったのです。ペトロが、イエス・キリストの全権…

「イエス・キリストの名によって」

「イエス・キリストの名前で」ということは、名前の中に神様の人格的な力があって、名前を呼ぶことによりその力が引き出されるのです。弟子達がイエス・キリストの名前で行動する時、イエス・キリストがそこにおられるのです。洗礼も又、イエス・キリストの…

「美しい門」で。

午後3時、ペトロとヨハネは祈る為にエルサレム神殿に上っていきました。二人が神殿の境内に入ろうとした時、お金を恵んでほしいと、憐れみを乞う男の声を聞きました。ペトロとヨハネは男の顔をじっと見て、「私達をみなさい」と命じました。男は何かもらえる…

祈り

一日三回祈るということは、一日最低三回は神様を仰ぎ見る時間を持つということです。社会で働いておられる方々は、朝起きた時から夜寝るまで追われるように次から次へと休みなく体を動かしておられることでしょう。しかし忙しくしているといつしか神様が自…

はじめに

捕虜として連行されたダニエルは、捕囚の地・バビロンでも毎日三度、祈りと賛美の時をもっていました。今日の聖書には、ペトロとヨハネが午後3時の祈りの時に神殿に上って行ったとあります。ペンテコステの日、弟子達が一つに集まっていた時に聖霊が降りま…

 3章1−10節

1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。3 彼はペトロとヨハネが…

 6章1−11節

1 さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。2 ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、3 また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上…