2009-06-14から1日間の記事一覧

信仰者に託された言葉

このダビデとヨナタンの友情というのは、彼ら二人だけのものではなくて、今日開きました新約聖書を参照したいと思います。ヨハネによる福音書の第15章14−15節「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 もはや、わたしはあなたがた…

何を学ぶか

さて、現代に生きる私達は、このダビデとヨナタンの友情から何を学ぶことができるか、換言するならば、反面教師のサウルの姿から何を学ぶことができるかともいえます。それは、人生における二つの関係、人と神との関係、そして人と人との関係、その二つの調…

主の栄光が離れ去った王

悲劇−悲劇と暗闇といったらいいのでしょうか、それは、このイスラエルの最初の王様といわれるサウルの生涯を覆って、彼の死に至るまで彼から離れなかった。そういう人物であります。主の栄光が離れ去った人物。サウルの生き方は、友情に裏打ちされたダビデと…

困難を自ら招く

三つ目に挙げられるサウルの姿は、困難を回避するどころか困難を自らに招き込むものでありました。ペリシテ人との戦いからサウル王とダビデが一緒に凱旋した時に、出迎えた女性達は楽を奏しながら「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌ったというの…

自分の使命に対する理解

二つ目に、サウル王は自分に託されていた使命を見失った。戦いに出かける時、当時は勝つことを神様の前に祈るという儀式を執り行っていました。この儀式は祭司がつかさどるべきものでした。ギルガルでのことですが、この犠牲を献げる時刻になっても、祭司(…

サウル王の三つの側面

ダビデとヨナタンの友情と全く(全くといって良いと思いますが)逆の人間性をあらわにしたのが、王であるサウルでありました。同じ3つの側面からサウルという王様の姿を概観したいと思います。 一つ目に挙げられるサウル王の姿は、識見(判断)を見失うこと…

神の前に真実な、契約に裏打ちされた友情

これらの特徴は、ダビデとヨナタンの友情というのが、刹那主義的ではなくて、神の前に真実なもの、契約に裏打ちされたものであることを明らかにしており、彼らの人生を貫き通して存在したのです。無論、このサムエル記上をずっと読んでおりますと、ダビデと…

三つの側面

ダビデとヨナタンの友情の特徴を、三つの側面から概観したいと思います。一つは、識見(物事に対する正しい判断、考え)を誤らせることがなかった、という友情でした。たとえば、父サウル王がダビデを殺すようにヨナタンと家臣全員に伝えます。その時にヨナ…

ダビデとヨナタンの友情

もう一度、サムエル記上18章の箇所を見たいと思います。 「ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、 着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた」(3節) 注目したい言葉は「契約を結び」という表現です。日…

はじめに

「人生・友情・学問」という題の小冊子が教文館から1965年に出版されております。著者は同志社総長であった上野直蔵さんという方です。その本に「友情とは」ということで次のように記されております。 「友情とは、心底を打ち明けて語り合う相互理解であり、…

 15章14ー17節

14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたから…

 18章1−9節

1 ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。2 サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。3 ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び…

「ダビデとヨナタンの友情」 佐々木哲夫先生(東北学院大学)

伝道所開設五周年記念感謝礼拝