2009-07-12から1日間の記事一覧

終りに

重要な事柄は、誰でも良心を持っている。良い心が神様によって創られている。それを通して「神を知る」という道が旧約聖書・新約聖書を通して語られているのです。 (文責:佐藤義子)

すべての人に神が知られる

全ての人に神が知られるという時には、私達の良心を超えた、私達の良心ではもう行き着くことが出来ない所、良心では行なうことが出来ない善・・、そういうものを超えて、そういうものに気を止めなくても、キリストに従うことによって、良心に従う道を歩むこ…

キリストを目標として

キリストが目標で、キリストの教えが良心の目的・完成した姿であるならば、私達はそれに従って行けば良いということになります。それによって私達はさらに具体的に神を知ることになります。しかしキリストの教えを実行することで神を知ったという人はいない…

「新しい契約を結ぶ」(エレミヤ31:31)

ここで「新しい契約」と言われていますが、ここで言われる律法は今までの古いモーセの律法・十戒とは違っておらず、事実イエス・キリストは「私が来たのは律法を完成するためである。・・律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイ5:17−18)…

私達の良心

考えてみますと、「良心」はモーセの律法よりもずっと以前、神様が人間を創られた時にすでに心に刻まれており、良いことについての理解を持ちながら、それに反することをした場合には、それを「とがめる」という形で良心が働きます。そういう心は誰でも持っ…

心に記されている律法

エレミヤ書31:33には「私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。」とあります。律法は私達の心に記されています。たとえば、イエス・キリストの教えであるマタイ福音書15:18に「しかし口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を…

誰でも神を知る

本日の旧約聖書に「私は彼らの神となり、彼らは私の民となる。その時、人々は隣人同士、兄弟同士、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者も私を知るからである、と主は言われる。」と記されています(エレミヤ31:33−34)…

はじめに

「神はあるか、ないか(いるか、いないか)」という神の存在の証明は、人間の長い文化の歴史の中でいろいろ試みられてきましたが、結局この試みは成功しませんでした。しかし私達の周辺には小さな神は沢山あります。旧制高校の同窓会などに出席しますと、ス…

 10章1−4節

1 兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています。2 わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。3 なぜなら、神の義を知らず、自分の義を求めよう…

 31章31−34節

31 見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。32 この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼ら…