2011-08-28から1日間の記事一覧

参照

<コリントの信徒への手紙二 11章23節−29節> 「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったこともたびたびでした。ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれ…

信仰から生まれる確信

さて、信仰を持つことによって、私達は人生の苦難を、おそらく避けることは出来ないでありましょう。しかしその苦難を、神の与えた試練として受けとめて、そこに何らかの意味を見出し、又それを乗り越える力と希望を与えるのが信仰ではないかと思います。人…

今日の聖書

今日、読んでいただいたコリント一 10:13には「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れ…

信仰の立場から

信仰の立場からすると、震災は、神が人間に与えた試練の一つであるといえると思います。試練は神が私達に与える苦難でありますが、試練によって信仰を放棄する危険が一方ではあります。しかし試練を通して信仰が練り清められる、深まるということもあります…

宗教の語るべきこと

さて、震災の中で宗教が語るべきことは何でしょうか。おそらく裁きを語って悔い改めを迫るのではなくて、むしろ慰めや希望ではないかと思います。震災の為に命を亡くした家族がいますが、その人達の死を弔うことであり、天における平安を祈ることでなければ…

今回の震災と罪悪の因果関係

文明生活を享受している現代人が、繁栄の中で享楽的になったり、退廃的になったりしてモラルが低下しているのは事実であるでしょう。そしてそのことを反省するのも大事かもしれません。しかしそのことと、大震災が起こったという事実の中に、本当に因果関係…

天災と天罰

この時、私が思い出したのは、関東大震災の時になされた「天譴論(てんけんろん・天のけん責)」の議論です。これは、「大震災は私達の行ないの悪の故であり、天が懲らしめている」という議論です。この議論は、渋沢栄一(当時東京商工会議所会頭)が言い始…

祈祷会でささげられた祈り

3月11日の2日後は日曜日でした。その日、私は作業着を着てリュックサック(聖書・讃美歌・水と非常用の食料)を持って、教会迄歩いていきました(一時間くらい)。教会は無事で、やはり作業着を着た牧師夫妻が迎えてくれました。当日は20人位の人達が集まり…

はじめに

3月11日に起こった大震災から半年近く経過して、私達の日常生活もやっと落ち着きを取り戻してまいりました。人命救助や緊急避難の段階は過ぎ、復旧・復興の途上にある段階にきていますが、少し落ちついてきたこの時点で、もう一度、大震災の意味について、聖…

 10章13節

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。