2011-11-01から1ヶ月間の記事一覧

信じる者

今日の新約聖書でイエス様は、「私の言葉を聞いてわたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」と言われます。 旧約聖書のメシア(救い主)誕生の預言は成就しました。聖書を通して語られる神…

回復の預言

本日の旧約聖書、イザヤ書52章は、捕囚の民であったイスラエルの民を、神様が本来の姿に戻すという回復の預言です。イスラエルの民は、再び「神の民」として、異国バビロンからエルサレムに帰還し、エルサレムの神殿において、神様を礼拝する日を迎えるとい…

イエス様をお迎えする準備

私達は、四週間後に我が家にイエス様がおいでになると知らされたら、どうするでしょうか。部屋の大掃除のこと、おもてなしのこと、友人知人達への案内状や、イエス様にお会いしたら、ぜひお聞きしたいこと・・など、イエス様が来られると考えただけで、頭の…

はじめに

本日から待降節(アドヴェント)に入りました。教会の暦では、待降節から一年が始まります。(教会暦:待降節−降誕節−受難節−復活節−聖霊降臨節)。待降は、主のご降誕を待ち望むという意味がありますが、アドヴェントは「来臨」という意味がありますので、待…

5章24節

はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

52章4−10節

主なる神はこう言われる。初め、わたしの民はエジプトに下り、そこに宿った。また、アッシリア人は故なくこの民を搾取した。 そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。わたしの民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、わたしの名は…

神の栄光にあずかる希望

翻って、本日の聖書を見ますと「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と語りかけてきます。その「希望」というのは、神の栄光にあずかる希望であり、私たちに恥をかかせることのない希望なのです。これはまさに「永遠を支えとする希望」のことで…

将来と永遠

一つの種類は、「将来に支えを置く」場合、もう一つは、「永遠に支えを置く」場合の、二つがあるというのです。特に後者の、「永遠」に支えを置く希望は、将来いつの日か解放されて外の世界で自由な生活を送る、ということを支えにする必要がなかったので、…

二つの種類

ところでヴィクトール・フランクルも又、「希望」について、興味深い示唆を与えてくれています。彼は106年前、1905年にウィーンに生れて、フロイドやアドラーに師事した精神科のお医者さんでした。結婚して二人の子供に恵まれて、ウィーンで平和な生活を続け…

欺くことがない

「欺くことがない」という言葉も、直訳するなら「私達に恥をかかせない」という意味です。砂漠の旅人が見る「しんきろうのオアシス」のように、近づくと消えてしまう、裏切られて終りになるような希望・・ではない希望です。この希望は、パンドラの箱から出…

希望

この「希望」は、「神の栄光にあずかる希望」(2節)、「私たちを欺くことのない希望」(5節)、両方合わせて「神の素晴らしさに自らも参与したいと願う希望。それは私達を決して裏切らない」というものでありましょう。

練達

「練達」という言葉は、「練られた品性」など、さまざまに訳されている言葉で、直訳するなら「テストに合格している」ということです。 すなわち「苦難と忍耐」というテスト、そのテストに合格の判定を得た心、しかも強い心で、柔和で純真な心、まるで火の中…

忍耐

パウロは手紙の中で「大いなる忍耐を持って、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって」その忍耐を貫き通したと記しています(2コリント6:4−7参照)…

苦難

最初の「苦難」は、私達がこの世で出会う様々な問題・・・衣食住のこと、健康のこと、年齢を重ねることによる不自由、仕事のさまざまな問題、生きていく上で解決しなければならない様々な問題を「苦難」と言い表しております。「苦難」という表現の時は勿論…

聖書に登場する「希望」

他方、本日読んでいただいた新約聖書には「希望」という文字が三か所記されております。「神の栄光にあずかる希望」(2節)、「練達は希望を生む」(4節)、「希望は私たちを欺くことがありません」(5節)です。 ここに記されている「希望」は、私達が承知…

はじめに

最近は、「希望」と言う言葉を聞くことが多くなりました。今般の国会で、野田首相が所信表明演説の締めくくりを、「国民が希望を持つような政治をしようではありませんか」との言葉で閉じていました。 私達が「希望」という言葉を聞きますと、ギリシャ神話の…

5章1−5節

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 そればかりでなく…

 62編1−13節

【指揮者によって。エドトンに合わせて。賛歌。ダビデの詩。】わたしの魂は沈黙して、ただ神に向かう。神にわたしの救いはある。神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。お前たちはいつまで人に襲いかかるのか。亡きものにし…

信仰の実をささげる

御子イエス様の到来によって全ての民に啓示された福音を、私達は聞き信じる幸いを与えられています。今や「神殿」とはエルサレム神殿ではなく私達自身のことです(「あなたがたは自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないので…

枯れたいちじく

翌朝早く一行は再び「いちじくの木」を見ましたが、根元から枯れていました。このことは、神様の救いの時に信仰の実を示さなかった者の行く末が「滅び」であることを示しているように思います。或いは逆に、こうも言えるでしょう。「御言葉や御心」に従って…

宮清め

その後、エルサレム神殿に入られたイエス様一行は、境内で、神様に献げる犠牲(動物や鳩)の売り買い、両替などの商売人達が神殿に敬意を払わず、我が物顔して商売しているのをご覧になり、旧約聖書を引用して非難されました。神殿は、まず神様と人間の心の…

イエス様といちじく

イエス様もイスラエル民族に、「初なりの実」を期待されたのでしょう。「空腹を覚えられた」は「切望した」の意味があります。選民イスラエルに、「イエス様をメシアと信じる信仰の実」を示すことを切望されたと理解できます。しかし今、メシア(イエス様)…

最後の一週間

イエス様のご生涯の最後の一週間は、神様の「救いの時」の恵みが豊かに示されています。今日の聖書は、二日目と三日目の早朝の出来事です。イエス様一行は、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実を求めて近寄りましたが葉の他、何もありませんでした(…

はじめに

私たち人間は、自分の無力さを知った時、無条件に「そこから救われたい!」と思います。魂は、神様が造られた本来の平安な世界を知っているのかもしれません。人は困った時にのみ神様を思い出し、「救って下さい」と祈ります。神様は、そんな罪深い人間を救…

11章12−25節

翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。 イエスはその木に向かって、「今から後…

7章1−2節

悲しいかな/わたしは夏の果物を集める者のように/ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく/わたしの好む初なりのいちじくもない。 主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそか…

種まきと刈り入れ

続いてイエス様は、弟子達に「種まきと刈り入れ」に関する二つのことわざを取り上げて語られました。一つは「刈り入れまでまだ4カ月もある」という言葉です。これは種をまいて収穫するのに4カ月かかる。待たなければならないという意味ですが、イエス様は、…

イエス様の食べ物

イエス様は弟子達に、「私にはあなた方の知らない食べ物がある」と言われました。それは、空腹を満たす食物では無く、霊的な意味で活力を回復させる為の食べ物のことでした。イエス様は次のように言われています。 「私の食べ物とは、わたしをお遣わしになっ…

サマリヤの女との会話

イエス様から「水を飲ませて欲しい」と頼まれたサマリヤの女は、驚いて、その理由(ユダヤ人がサマリヤの女に頼むことはあり得なかった)を聞きます。イエス様は、「私が誰であるかを知っていたら、あなたの方から生きた水を私に求めたでしょう」と答え、さ…

はじめに

本日の聖書は、イエス様が、水汲みに来たサマリヤの女と出会い、水を飲ませてほしいと頼んだことから始まります。イエス様の生涯は、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)というメッセージを、一人でも多くの人々に宣…