2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

魚の網のたとえ

最後のたとえは、網にかかった魚のたとえです。捕えられた良い魚は器に入れられ、使い物にならない魚は捨てられます。つまり、同じ網から、神の国に入る者と、そうでない者に分けられることを教えています。以上、私達は2回にわたり、天の国について学びま…

譬えの意味

「宝」と「高価な真珠」にたとえられているものは何でしょうか。 これは、天の国のたとえですから、宝や真珠にたとえられているのは、神様の支配の中に入ること、神様の支配のもとで生きることです。もっと具体的にいうならば、天の国への道しるべであるイエ…

「持ち物をすっかり売り払い」

最初の人は努力せずに宝を見つけました。それに対して真珠の商人は、商売のためにあちこち探しあるいて努力して見つけました。共通しているのは、どちらも自分の持ち物を売り払い、それと引き換えに発見物を手に入れたことです。自分の持っている物すべてを…

「宝」と「真珠」のたとえ

今日の聖書には、さらに天の国について三つのたとえが語られています。最初は「宝」です。ある人が畑を耕していたら、くわの先に何かがぶつかり掘って見ると「宝」でした。背景として当時パレスチナでは、財宝を壺に入れて土の中に埋めることがよくされてい…

はじめに

本日も前回に続いて、天の国についてイエス様の教えを学びたいと思います。天の国と言う時、社会一般で使っている「天国」とは区別しなければなりません。聖書を通してイエス・キリストが私達に教えておられる天の国(神の国)は、神様が支配されておられる…

マタイ福音書13:44−52

詩編104:24−35

からし種とパン種

二番目に、天の国が「からし種」に譬えられます。それは畑や庭にまかれる他のどの種よりも小さいのですが、やがて、ほかのすべての植物を遥かに越えて、大きく成長し、鳥が巣をつくれる程になります。 三番目に、天の国が「パン種」(イースト菌)の働きに譬…

天の国のたとえ

今日の聖書には、天の国についての三つの譬え話が記されています。 第一は「毒麦のたとえ」です。内容は、ある人が畑に良い種をまきましたが、同じ畑に、夜の内にこっそり毒麦の種をまいていった人がおりました。そうとは知らず良い麦だけを期待していたしも…

天の国の秘密

秘密は「奥義」と言い換えられます。「天の国」とは、神様が支配されているところですから、天の国を正しく知る為には、神様のことを正しく深く学ぶことが必要です。イエス様は「奥義を悟ることが許されていない人」について、旧約聖書の言葉を引用されまし…

はじめに

今日の聖書は、イエス様が語られた「天の国」の譬え話です。たとえ話は、人に何かを伝えたい時に、少しでもわかりやすく伝える為に用いられます。 ところが今日の聖書では、イエス様は、群衆に対して「たとえ話」をされますが、何を伝えたくてそのたとえを用…

マタイ福音書13:24−33

詩編90:1−12

私達の祈り

私達が辛い時、悲しい時、苦しい時「どうぞこの杯を取りのけて下さい」と何度でも祈ることがあります。そのような時、私達は自分の思いだけにとらわれるのではなく、「神様の御心、神様の御計画があるならば教えて下さい。そしてその運命(使命)を受け入れ…

心は燃えても、肉体は弱い

他方、共に祈ることを求められた三人は眠ってしまいました。「汗が血の滴るように地面に落ちる」(ルカ書)ほど、極度の緊張と苦しみの中で祈られたイエス様と対照的です。イエス様は彼らを起こし「心は燃えても、肉体は弱い。目を覚まして祈っていなさい」…

ゲツセマネの祈り

ゲツセマネの祈りの言葉は、「(アッバ)、わたしの父よ」と、かなりの親愛の情を含んだ呼び掛けで始まり、「あなたは何でもお出来になる」と、神様の御力への賛美が続き、そして「この杯を取りのけてほしい」(杯とは、神様が人間に与える運命・使命を指す…

終末の開始

神の御子・イエス様がこの世に生まれたという出来事により、終末は既に始まったと言われます。それは神様が人間を救うという約束を守るため、御子をこの世に送り出して下さったからです。そして人間の救いの為に、人間の罪をすべて贖(あがな)う=(身代金…

わたしと共に目を覚ましていなさい

ゲツセマネについた弟子の中からイエス様は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を選び、祈りの場所へ伴われました。12弟子の中で、この三人を、イエス様はいつも大事な出来事の場所に連れて行かれます。 ゲツセマネでのイエス様のご様子は、危機感迫るものであっ…

はじめに

最後の晩餐の後、イエス様と弟子達はエルサレム郊外のオリーブ山に出かけました。その麓に「ゲツセマネ」というイエス様が愛しておられた祈りの場所がありました。ゲツセマネ(油縛りの意)には、オリーブが沢山生えていて、その実が沢山取れたということで…

マルコ福音書14:32−42

詩編75:7−11

何をどう言おうかと心配してはならない

今朝の聖書は、イエス様が12弟子をユダヤ人社会に送り出す時の言葉です。イエス様は、ユダヤ人社会の人々を狼、弟子達を羊に譬えて、「蛇のように賢く、鳩のように素直になれ」と言われました。「イエス様こそ救い主」との福音は、ユダヤ人達の考える「救い…

平和

旧約聖書で「平和」とは、あらゆる領域(精神的・肉体的・社会的)で、具体的にすべて満たされている状態のことです。しかしそのような平和は神様が持っておられるものであり、神様が下さるものです。この平和は、人間が神様の意志に基づいて正しく生き、神…

はじめに

日本基督教団では、8月の最初の日曜日を「平和聖日」と定めて、平和について考える時としています。個人的なことで恐縮ですが、私は終戦の前年に満州で生まれ、母は病の中、姉と私を連れて引き揚げてきました。後に多くの中国残留孤児をテレビなどで見聞き…

マタイ福音書10:16−23

詩編57:2−12