はじめに

 大震災から今日で一年がたちました。昨年の3月11日は金曜日でしたが、翌々日の日曜日の礼拝までには電気は復旧せず、外からの光だけで礼拝を守りました。出席者は、伝道所に避難されていた会員・求道者8名でした(子供2人もいました)。
あれから一年、それぞれの体験は違いますが、お一人お一人、この震災で何を考え、何を学び、又、どのような歩みをしてきたのか、何が変わり、自分はどう変えられたかなど、礼拝後の集いで、そのようなことを語りあう懇談の時をもちたいと願っております。
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終末についての質問とこたえ

本日の聖書の少し前の3節に、「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子達がやって来て、ひそかに言った。『おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終る時には、どんな徴(しるし)があるのですか。』」とあります。弟子達がひそかに尋ねた「終末」について、イエス様は大変ていねいに、そして誠実に答えておられます。「いつ」との質問に、こう答えられました。
「その日、その時は、だれも知らない。天使達も子も知らない。ただ、父だけがご存知である。」
必ず、世の終りは来る。それは絶対に起こるということをイエス様は知っておられました。けれども時期については、父なる神様お一人だけがご存知であると語られました。イエス様は、この歴史という時間が終る日がやってくることと、その「時」が、隠されていることを弟子達に教えました。なぜ私達人間に隠されているかといえば、そのことは、神様が決断されることだからです。神様が行動なさる時に初めて「いつ、どのように起こるか」をイエス様は知ることが出来るのです。イエス様は、父なる神様が新しい使命をいつお与えになるか、ただ待たれるのです。

ノアの洪水

終末・再臨は、ノアの洪水の時と同じようにやってくるとイエス様は語られました。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりという日常生活が行われ、洪水が襲って来るまで誰も何も気付きませんでした。
ノアは神と共に歩みましたが、地上に生きる人々は常に悪い事ばかり思い計っていたので、神様は滅ぼされました。

分断・選別

 再臨の時、何が起こるのでしょうか。
エス様は畑で労働する二人の男と、食事に必要な粉を得る為に、石臼を回す二人の女性を例にあげています。この人達は、外側から見る限り同じことをしています。しかしその時、一人はイエス・キリストとの交わりに引き揚げられ、もう一人はその場に残されます。私達の目から見れば、二人の間の区別はつかないけれども、その時には突然、分断・選別が起こると予告しています。

「だから、目を覚ましていなさい」

今日の結論はこうです。「だから目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなた方には分からないからである。」
エス様は私達に信じることを通して永遠の命を与えて下さり、神の国の民として下さいました。私達は将来の約束と希望を与えられています。しかし私達の日常が、この世の思い煩いや、衣食住のこと、目の前のことに追われているならば、それは眠っている状態といえるでしょう。

今回の震災のように、ある日突然やって来る「その日」のことを、私達はいつも心の中に意識していることが大切です。その為には、毎週の礼拝を出来る限り守ることです。日々の信仰生活を大切にすることです。日々聖書を読み、心の内に御言葉をたくわえ、そして祈ることです。朝起きた時、夜眠る前、3度の食前、1分ずつでも、1日5分は祈れます。そして今日、自分が果たすべきことを、私達の御主人である神様に聞きながら実践することです。木にしっかりとつながる枝となりましょう。

終末とイエス様の再臨は、「思いがけない時に来る」(43節)のです。