私の罪

  本来なら私達がそれぞれ「自分の罪」に対する「裁き」をうけるのです。一般社会では法律を犯せばその罪に見合った裁きを受けます。私達が神様の前で犯す罪についても同じです。一番の罪は神様を神様とせず、自分を神として自己中心・自己絶対化の道を生きてきたことでしょう。さらに神様が律法を通して教えておられる人間の生き方に大きく違反してきたことです。人を愛することが出来ず、憎み、嫉妬する、復讐する。あるいはうそ・偽りを言う。真理に従わない等、罪がないといえる人は一人もいません。にもかかわらず、私達は自分の罪に見合った裁きを受ける覚悟はあるでしょうか。「十字架」はイエス様が負うのではなく、私達一人一人が負わなければならない罪の結果の死なのです。考えただけでも恐ろしいことです。すでに忘れてしまったことも含めて、私達はどれほど神様に逆らってきたでしょうか。しかも私達には自分の罪を赦していただく為に神様に差し出せるものは何一つありません。