絶えず祈れ

 私達が御言葉を通して、教えられ、命じられていることは、私のわざではなく、神様のわざです。神様のわざは、私達の力が不十分でも、神様が私達を通して働いてくださるゆえに、しりごみするようなことではないのです。アブラハムのしもべが祈ってこれに向かった時、イサクの妻になるべき人は、向こうの方から近寄ってきたのです。(創世記24章11節−21節)


 つまり、私達の使命が果たせるのは、私達の祈りを神様が聞いて下さった時なのです。私達の使命は、イエス様のことを伝えることと同時に、今、自分自身がおかれているその場で、真剣に誠実に生きるということでありましょう。夫であれば夫として真剣に誠実に生きる。妻であれば妻として真剣に誠実に生きる。親であれば親として真剣に誠実に子供に向かう。子供であれば、親に対して誠実に生きる。学生であれば勉学に対して真剣に取り組む。仕事があれば、仕事に対して真剣に誠実に取り組む・・。しかし私達の生活は一つだけでなく、複雑に入り組んでおり、バランスよくまんべんなく、パーフェクトに生きることは困難であります。しもべが心配したように、
ようやく主人の息子の嫁となるべき人物に出会っても、その人物が結婚は承諾しつつ、故郷を離れるのはいやだということも起こり得ます。事柄は必ずしも私達が願うようにはいきません。その時にはどうすべきか。しもべがご主人の考えを聞いたように、私達は神様に祈り尋ねるのです。答えが出ないときには答えがでるまで祈り続けるのです。神様は必ず私達にわかる仕方でその方法を示して下さいます。