すべてのこと感謝せよ

 シュラッターという神学者は、私達が感謝できるのは、私達が、神様の現臨の中に生きている時であり、私達の魂が神様を対話の相手として、自分の行動の隅々までゆきわたっている場合だけであると限定しました。そうである時、すべてのことが感謝のもととなり、どんな経験の中でも、神様の恵みが絶えることなく、良い贈り物を届けて下さり、私達はその贈り主を知るゆえに、そのお方に感謝して神様を崇めます。


 私達は喜ぶことがあるにもかかわらず見過ごし、あるいはその喜びを芽を自分から摘み取っていないでしょうか。

 私達は祈りを沈黙させてはいないでしょうか。上を見上げる時間を惜しみ、横と下ばかりに時間を費やしていないでしょうか。

 私達は感謝を絶やしてしまっていないでしょうか。

 もしそうであるなら、私達はすでにイエス・キリストを失なっています。私達は日々、イエス様によって神様の恵みを受け取っています。そこから、かき乱されることのない喜びと、絶えることのない祈りとすべてのものを包む感謝が生じるのです。


 2008年、仙台南伝道所の歩みが、そして伝道所にかかわるすべての者が、この御言葉を愛し、この御言葉と共に、この御言葉のもとで歩んでいきたいと願うものです。