「無知」を装う

 人は常に曖昧性の中に自分の身を置こうとします。無難であり、自分を隠せるからです。本当にわからないものをわからないというのは正直であり、真実です。しかし彼らは「無知」を装いました。なぜなら自分を罪ある者としたくなかったのです。自分を罪ある者と認めるならば、悔い改めてイエス様の前にひざまずかなければなりません。それはしたくないのです。神殿を背景にした自分達の権威を損なうことは耐えがたく、彼らは自己保身の為に、見せかけの無知を装いました。