暗闇での格闘

 ヤコブは義理の父・ラバンの家から多くの財産と大勢の家族を伴ってくるわけですが、そこには「長子の権利」を騙(だま)し取られ、悔しい日々を送っている兄エサウが待っていたのです。ヤコブはもうすぐそのようなエサウに会わなければならないのです。兄エサウはきっと怒りを抑えながらヤコブを殺す機会を待っていたかもしれません。そのような兄エサウとの再会を前にして、ヤコブが兄の敵意をどうにか和らげようと図り、又一方で、エサウが攻撃してきた時の為に必死で備えをする様子が聖書にはよく記されています。いったい自分の実(じつ)の兄に会うのに、こんなに不安で恐れていなければならないとはなんて不幸なことでしょうか。いろいろな人を狡猾に騙(だま)して生きてきたヤコブは今、そのような人生の裏側の暗さに直面しているのです。表(おもて)は確かに成功者に見えます。父から祝福を得たし、子供も財産もたくさん持つようになりました。しかしその成功の裏にある狡猾さ、人を欺(あざむ)いてきたことが彼を不安にしているのです。今ヤコブについて語っていますが、この、人生の裏側・暗い部分、それによる不安・恐れというのは、私共の人生にもあります。この陰の部分が時折、私共の生活の中で顔を出すのです。ヤコブは今、まだ夜明け前の暗闇の中に不安と恐れに包まれています。そして唯一人,神の前に立っています。彼が神様の前で取り組まなければならなかったことは、自分の人生の暗い部分、自分の過去、罪に直面することであり、今その時が来たのです。しかし、その格闘の背後には神様がおられます。つまり、自分自身の暗い部分を通して神様と格闘したのです。暗闇の中で、唯一人で戦いました。
 私共もヤコブのように、唯一人になって自分の暗い部分の中で格闘するしかない時があるのです。そしてその格闘の時間を通してこそ神様に出会うことがあります。ヤコブは出来れば避けたい相手、殺されるかもしれない危機を前にして、神様との格闘の機会が与えられました。私共も人生の内でヤコブのような危機に直面することがあるのではないでしょうか。その時こそ神様に出会い、神様と組み合いをする一つのチャンスかもしれません。