ヤコブからイスラエルへ

 ヤコブは神の人との格闘の末に名前が変わります。「もはやヤコブではない。イスラエルと呼ばれるのだ」と神の人から言われます。ヤコブという名前は「足をつかむもの」という意味で、ヤコブが生まれる時に、兄の踵(かかと)をつかんで生まれてきたのでそのように名が付けられました。それは奇しくもヤコブの性格をよく表わしているのです。負けず嫌いで奪い取ろうとする性格、その通りヤコブは祝福を自分のものにする為に、騙(だま)しあざむき、又逆に自分もあざむかれ、だまされ、傷だらけの人生になりました。しかし今、そのような自分の性格と過去のゆえに、不安と恐れの時間に置かれていたのです。それでも今、ヤコブイスラエルに代わりました。足をつかむ者は、神と戦う人・イスラエルになったのです。名前が新しくなるというのはもう古い人ではなくなったということです。もはや彼は、人の足をつかむ狡猾なヤコブではなく、神と戦って勝った祝福された者・イスラエルになったのです。神から選ばれた者として変えられたのです。神がヤコブの人格の暗さ、罪だらけの暗い人生に光を当てて下さったのです。私共は自分の罪に向かい合う時、それはとても辛い時間です。しかしその向こう側に神様がおられる、そしてその戦いの中で神様の御手によって私共の暗い部分は明るくなるのです。独り子イエス・キリストを私共の為にお送り下さった神様はヤコブの為に、ヤコブの一番辛い時間、ヤコブの所に降(くだ)っていかれたのです。
 人は神の御手によって変わります。見方も価値観も変わります。神の祝福には、人を根本から変える力があります。ヤコブが神の人との格闘を終え、神様から祝福され、そこを去ると太陽は昇ってきました。夜明けになったのです。それはヤコブ自身にとってきっと忘れられない素晴らしい夜明け、朝であったに違いありません。自分の罪や狡猾さからきた暗闇から解放された朝でありました。

ヤコブの暗い人生に神様からの光が差し込んできたのです。