「神の国はあなたたちから取り上げられる」

 イエス様は、祭司長達や民の長老に向かって「神の国は取り上げられる」と言われました。彼らは自分達が宗教的指導者として正しく責任を果たしていると考えており、神様に逆らっているなど思いもよらなかったことでしょう。しかし神の国は彼らから「取り上げられる」のです。たとえで、農夫がぶどう園を任されたのは、主人の一方的な選びと愛によるものでした。この神の特別な配慮による恵みの賜物を忘れて彼らは傲慢になっていました。祭司長や民の長老という特権意識におぼれ、やがては自己絶対化・自己保身に陥り、バプテスマのヨハネを受け入れず、今目の前のイエス様をも拒否しています。伝統が、自己正当化が、彼らの魂の目を盲目にしてしまったのです。主人は必ず旅から帰ってきます。その時に、大いなる憐れみと恵みは取り上げられるのです。