わなをかける

 そのような背景のもとで、ファリサイ派の人々がイエス様の言葉じりを捕えてわなにかけようと納税問題を取り上げたのです。しかも彼らは立場の違うヘロデ派のグループと結託してやってきました。わなは巧妙にかけられました。「先生、私達はあなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、誰をもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。」この賞賛の言葉は、「納税はローマ皇帝の統治に服従することであり、神がイスラエルに定めた道とは正反対だから、神の道を教えるあなたは、賛成のはずがありませんね」「この問題について、反ローマの態度を掲げることは誰をもはばからない勇気を必要とすることであり、あなたにはそれがありますね」ということです。そして自分達がこれからする質問に対して、正直に答えるようにとの強い命令を含みながら、「皇帝への納税は、律法に適っているか、いないか教えてください」と、表面上はいかにもけんそんに尋ねたのです。「律法に適う」と答えれば「神の教えに背く」として、民衆の気持はイエス様から離れていきます。「納める必要はない」と答えるならば、ヘロデ派からローマヘの反逆者の烙印が押され、イエス様を亡き者にするための、一番の近道になることでしょう。