はじめに

 12弟子の一人ユダが祭司長のところに行き「あの男(自分の生涯をかけて今まで従ってきた主イエス・キリストのこと)をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」(15節)と尋ねました。居場所を探す敵方の当局に、ユダはイエス様の身柄を引き渡す用意があることを告げたのです。なぜ、ユダはこのような気持になってしまったのか。いくつかの小さな点ともいえる出来事が、ある時のある点でつながり、それまでの方向とは全く別の方に引っ張ってしまうことがあります。又、たった一度の出来事が、これ迄のすべての歩みを空しくさせてしまうこともあります。昨年秋の礼拝で、佐々木哲夫先生はユダの裏切りについて語られた時、ベタニヤでの出来事を引用しながら、弟子達の期待とイエス様の現実の食い違いを挙げられ、イエス様よりも自分の主義主張を優先させたことにあると語られました。「だから、目を覚ましていなさい」(24:42)との御言葉は、サタンの介入を許した(ヨハネ13:27)ユダにならない為の、私達の魂への言葉でもあります。