復活のリアリティ

 しかし問題は、「復活した主を信じている」というだけではなくて、「復活した主が今も生きて働いておられる」「教会として働いておられる「私達に語りかけておられる」ということをどれだけリアリティをもって感じることが出来るのか、そこからどれだけ信仰の力を得ることが出来るのか、ということがおそらく問題ではないかと思います。私は以前(神学生時代)、赤星進という精神医学者の講演を聞いたことがあります。この方は精神医であり熱心なクリスチャンでもありました。彼はポ−ル・トゥルニエ(フランスの精神医学者)の「聖書と医学」の訳者として有名ではないかと思います。又、彼は聖書の語る人間観と精神医学の人間観の接点を求める「精神医療と福音」という本を書きました。その時の講演も、精神医学と福音との関連の話でありました。昔のことで内容の大半は忘れましたが、その中で「キリスト教の復活信仰がなければ福音はない。これはキリスト教の真髄である。ところが自分は何十年も教会に行ってイースターの説教を聞いてきたが、復活のリアリティ(現実性)を感じさせる説教に一度もあったことがない」と話されました。言われてみると、私自身も主の復活の現実性が迫ってくるような説教に出会ったことがあるかを思い出そうとしてもあまりありません。それはおそらく「主の復活」ということの難しさではないかと思います。