理解できず、信じることができない

 「主のご受難そして死と復活」については、エルサレムに向かう途上で、イエスご自身、弟子達に三回も繰り返し教えていました。つまりエルサレムでは祭司長、律法学者、長老達から苦しみを受け、殺され、しかし三日目に復活する、と繰り返し語られていたけれども、死からの復活という超自然的な、日常の我々の経験を超えた事柄に対しては、弟子達といえども理解出来ませんでした。「主の復活」という喜ばしい出来事がそこで起こったにもかかわらず、信じることが出来ない者にとっては依然として悲しみ・恐れが支配していました。マグダラのマリアは、からの墓の前で泣いていました。誰かが自分の慕ってきた主の遺体を持ち去ってしまったと考えました。