旧約における「主の道を整える」とは・・

 イザヤ書40章−55章(第二イザヤ)は、「イスラエルの民が異教の地バビロンでの苦しい捕囚生活からもうすぐ解放される」という慰めに満ちた預言から始まります。3節の「主の為に、荒れ野に道を備え 私達の神の為に、荒れ地に広い道を通せ。」は、故郷エルサレムへ向かって、又、主に向かって、もう一度神殿で礼拝を献げることが出来るように、信仰という道を立て直すことを意味しています。異教の地での偶像礼拝を悔い改め、そのことを公に言い表して、きちんとやめて、全存在をかけて方向転換をし、主なる神のみを信じる生活に立ち帰ることです。