信仰者に託された言葉

 このダビデヨナタンの友情というのは、彼ら二人だけのものではなくて、今日開きました新約聖書を参照したいと思います。ヨハネによる福音書の第15章14−15節「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」そして17節には、「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である。」驚くべき言葉だと思います。信仰者に託された言葉。それはイエスキリスト、神との友人関係に、あなたがたはある。僕ではない。私とあなたは友である。という言い方です。時空を超えて、ダビデヨナタンの友情はまさに神の真実に裏打ちされたものであるということですが、同時に私達と神との関係も又、「友」と呼ばれるにふさわしい関係であるということをここで知らされます。これは驚くべきことでありますが、同時にこれは、キリストの御体である教会に託された言葉でもあります。キリスト者、そして教会。それは、神と共なる関係に生きる、それはさきほど概観いたしました価値観の一つ一つが、この時代においても存在する。その内に私達は豊かに生きることが出来るということを示すものである。そのことを覚えたいと思うのであります。(文責:佐藤義子)