はじめに

 「人生・友情・学問」という題の小冊子が教文館から1965年に出版されております。著者は同志社総長であった上野直蔵さんという方です。その本に「友情とは」ということで次のように記されております。


「友情とは、心底を打ち明けて語り合う相互理解であり、孤独地獄を消し去るもの、又、利害を異にするのではなく、平等な間柄において成立する」。


 確かにそういうことであろうと思いますが、今日読みましたダビデヨナタン旧約聖書では無二の親友と呼ばれているダビデヨナタンの友情は例外的なものであったのではないかと思います。
というのは、ヨナタンは王子です。ヨナタンはこう言っています「父は、事の大小を問わず、何かする時には必ず私の耳に入れてくれる」。ですからヨナタンは、父サウル王の良き相談相手であり、又、自分自身も軍の指揮官として、兵士達から絶大な信頼を受けていました。にぎやかな環境においても孤独は存在いたします。しかし王国と住民の平和の為に
侵略者と戦うヨナタンに、「孤独」という環境を楽しむ余裕などなかった、そういう立場におりました。他方、一兵卒として従っていたダビデ。この時点では、まだ一人の兵士にすぎませんでしたが、ダビデヨナタンと違い、身分の低い貧しい者であった。二人の立場はかなり違っておりました。いうならば、「友情」という平等の関係など生じ得ない状況と思われましたが、しかし、ダビデヨナタンの間には親愛の情が成立した。そこには、私達が見過ごすことのできない重要な要素が存在しておりました。