ダビデとヨナタンの友情

もう一度、サムエル記上18章の箇所を見たいと思います。

ヨナタンダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、 着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた」(3節)

 注目したい言葉は「契約を結び」という表現です。日本語では「契約を結ぶ」。「結ぶ」という原文の動詞は「切る」(物をナイフなどで切る)が使われています。契約を結ぶ際に犠牲を捧げる。犠牲を切り分ける行為に由来しての表現であり、「契約」は「切る」というふうに表現しています(日本語では契約を結ぶと訳されております)。けれども、しかしここにはそのような意識が書かれてはおりません。ですから「契約を結ぶ」という表現には、その内包的な意味、すなわちダビデヨナタンの友情が主の御前において真実なものであるという意味が込められての表現です。「私とあなたの間に、主がとこしえにおられる」(20:42)とヨナタンダビデに語っていますが、揺るぐことのない約束として、生涯にわたり、このダビデヨナタンの友情というものは保たれるわけであります。この神にある友情。ダビデヨナタンの友情というのは一体何であったのか、ご一緒に考えたいと思います。