自分の使命に対する理解

 二つ目に、サウル王は自分に託されていた使命を見失った。戦いに出かける時、当時は勝つことを神様の前に祈るという儀式を執り行っていました。この儀式は祭司がつかさどるべきものでした。ギルガルでのことですが、この犠牲を献げる時刻になっても、祭司(預言者でもある)であるサムエルが到着しないという場面がありました。自分のもとに集まっていた兵士達は、サムエルが来ないならもう帰ろうということで、一人二人と自分の所から去っていく。それを見たサウル王は、待て。私がサムエルに代わって焼き尽くす献げ物を献げるといってささげてしまいました。祭司がいない所で王が祭儀の司式を行う、という愚かさのみではなくて、散り始めた兵を引き戻そうとする・・自分の所に居てくれということでしょうか。これも「主を畏れ、心を尽くし、真(まこと)をもって主に仕えなさい」というサムエルの言葉とは異質のものでした。 サウルは自分がしなければならない仕事、使命に対する理解が不十分であり、それはヨナタンの姿と極めて対照的なものでありました。