神の御子イエス・キリストの十字架

 イエス様は、イザヤ書に預言されたご自身の苦難と死を事前に知りながら、この地上では父なる神様の救いの業を成し遂げる為に御心に適うようにと働かれました。しかし人々はイエス様の示される「神様へ、その生き方の方向を改める−悔い改め」をしませんでした。イザヤ書の通り「道を誤り、それぞれの方角へ向かって行った」(53:6)のでした。この罪の特性は、神様を信じきれない不信仰、自分中心に流されて生きてしまう弱さ・醜さ、御子を十字架につける大罪へと又もや自分をおとしめていくことになります。しかし恵みと愛に満ちた神様は、私達のぬぐい難い罪を、イエス様の十字架の尊い犠牲によって救って下さいました。