知恵と霊によって語る

 しかしステファノと議論した人々は、ステファノの前に歯がたちませんでした。その理由を、聖書は「ステファノが『知恵と霊によって語る』」からだと説明しています。知恵と知識の根源は神です。この神の知恵はイエス・キリストにおいて具体的に現われました。コリント書には「神の知恵であるキリストを宣べ伝えている」、「このキリストは、私達にとって神の知恵となり」と記され、又、「十字架の言葉は、滅んで行く者にとっては愚かなものですが、救われる者には神の力です。」「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」とあります。この神の知恵は、聖霊の働きによって人に伝達されます。
霊についてはイエス様とニコデモの会話から学ぶことが出来ます(ヨハネ3章)。イエス様が「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」とニコデモに語った時、「年をとった者が母親の胎内に再び入れない」と彼は答えました。イエス様は「肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれた者は霊である。風の音を聞いても、風がどこから来てどこへ行くかを知らないように、霊から生まれた者も同じである」と言われました。霊は、ただ神様から与えられるものであり、霊によって新しく生まれることによって神の国を見ることができるとイエス様は言われます。
ステファノは、霊によって新しく生まれ変わり、聖霊が彼の内に住み、その生きた霊である神様がステファノの口を通してイエス・キリストを証しする。これが「知恵と霊によって語る」ということでしょう。
私達にも、この神の知恵、神の霊が必ず与えられることが、ヤコブ書で約束されています。「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、誰にでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そう言う人は、主から何かいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です。」(1:5−8)