「新しい契約を結ぶ」(エレミヤ31:31)

 ここで「新しい契約」と言われていますが、ここで言われる律法は今までの古いモーセの律法・十戒とは違っておらず、事実イエス・キリストは「私が来たのは律法を完成するためである。・・律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイ5:17−18)。と言われています。イエス・キリストは律法を新しく強化しました。ロマ書に「キリストは律法の目標であります」(10:4)とあるように、究極のところ律法はキリストを目標としています。言い換えれば、キリストご自身が律法を完成されたのです。キリストの最大の教えは「神を愛しなさい。自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」という言葉にまとめられます(ガラテヤ5:14参照)。キリストが完成され、キリストが実行されたものです。私達が目標とするもの、私達が歩む生活の目標がここにあります。それは神様が人間を創られた時に神様が植え付けてくださった「良心」を満足させるものです。エレミヤ書の、「誰も『主を知れ』と言って教えることはない」一つの決定的な理由は、私共が神に似せて創られた(良心が植え付けられた)からです。