すべての人に神が知られる

 全ての人に神が知られるという時には、私達の良心を超えた、私達の良心ではもう行き着くことが出来ない所、良心では行なうことが出来ない善・・、そういうものを超えて、そういうものに気を止めなくても、キリストに従うことによって、良心に従う道を歩むことが出来ます。「神を知る」とは、決して私共の良心に反することではなく、むしろ、神が私達を神に似せて創られた創造の時に植え付けられた「良心」を積極的に満足させる道、それが「新しい契約」としてキリストによって与えられるのです。良心によっては罪を積極的に赦すことが出来なかった、そのことがキリストを通して新しく赦すことが出来るようになる。そういう形でキリストに従うことが許されているのです。