はじめに

3月11日に起こった大震災から半年近く経過して、私達の日常生活もやっと落ち着きを取り戻してまいりました。人命救助や緊急避難の段階は過ぎ、復旧・復興の途上にある段階にきていますが、少し落ちついてきたこの時点で、もう一度、大震災の意味について、聖書に基づいて、考えてみたいと思います。

今回の大震災は、近代日本を襲った最大の地震であり、私達の予想をはるかに越えて起こりました。地震学者の研究によりますと、平安時代(869年)に、東北を襲った大地震と同程度だったといわれております。もしそれが正しいとするならば、日本列島では1000年に一度起こるかどうかの大地震に私達は見舞われたということになります。世界の震災の歴史をみても、マグニチュード9を越える地震はまれでして、最近100年ではチリ沖地震スマトラ沖の地震くらいです。この未曾有の大地震の結果、建物や道路や町が破壊され、特に沿岸部の石巻気仙沼南三陸町の地域は津波に襲われて、町は大変に破壊され、土台だけを残して廃墟になってしまいました。そのため多くの人達が命を亡くしましたし、現在も行方不明です。生き残った人達も家を失くして避難所暮らしを強いられ、自分の家は無事であっても、しばらくは電気も水道もなく、少量の水や食料で暮らさなければならない経験を、皆様もされたと思います。又、福島第一原発の近隣地域に住んでいる人々は、津波によって引き起こされた原発事故のために、町村ごとに避難を強いられ、現在に至っています。

地震津波など自然災害は人命を奪い、人の生活基盤を破壊する恐ろしい出来事であるということは前もっていえるわけであります。しかし、キリスト教信仰の立場から、この大震災をどうとらえるかは、又、おそらく別のところにあるのではないかと思います。