種まきと刈り入れ

続いてイエス様は、弟子達に「種まきと刈り入れ」に関する二つのことわざを取り上げて語られました。

一つは「刈り入れまでまだ4カ月もある」という言葉です。これは種をまいて収穫するのに4カ月かかる。待たなければならないという意味ですが、イエス様は、もう畑は色づいて刈り入れを待っており待つ必要がないと言われました。これは人々の魂の救いについての言葉です。魂の救いは、人間の知恵による経験法則には必ずしも適用しないといわれます。事実サマリヤの女は、イエス様に出会って、会話の中で、イエス様を信じました。そればかりではなく、イエス様のことを人々に伝えに行くのです(種まきと収穫が同時)。

  

  もう一つのことわざは、「一人が種をまき、別の人が刈り入れる」です(37節)。一般的な意味では、空しさや不正を耐える気持があります。しかしイエス様は、このことわざを、神様が私達を招かれる奉仕に当てはめられました。神様への奉仕は他の人の奉仕を土台とし継続していくものです。すべての者は自分自身の為に働くのでなく、神様を仰ぎ見ます。それゆえに種を蒔く者は、その結果や実りを見なくてもかまわず、刈りいれる者は、他の人がやってきたことを感謝して引き継ぎ、自分の仕事として結びつけて実りを得ます。そして両者ともその実りを喜ぶのです。教会で行われている魂への種まきと刈り入れの業にそれを見ます。