神の栄光にあずかる希望

翻って、本日の聖書を見ますと「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と語りかけてきます。その「希望」というのは、神の栄光にあずかる希望であり、私たちに恥をかかせることのない希望なのです。これはまさに「永遠を支えとする希望」のことです。
 私達は二つの希望を知っている者であると言えます。
私達は「将来を支えとする希望」と「永遠に支えを置く希望」を知っている者です。
特に、「永遠を支えとする希望」は、「将来」の為にではなくて「今」の為に生きる。今に生きる「今」という時を見つめます。いうなれば、今を精いっぱい生きることで、生きる意義を見出し得る希望であるということがいえます。

今を生きる。その今の連続の先に将来があり、将来は、生きる「目標」でもありますが、「結果」でもある。今を精いっぱい生きることによってこそ、将来の結果が与えられる。そのような生き方を確証してくれる、保証してくれる。それが神の栄光にあずかる希望です。
神の栄光にあずかる希望は、永遠的な広がりを持つと同時に、現実的な手段をも私達に与えてくれます。人生から何が与えられるのだろうかと将来に期待して生きるのではなくて、むしろ、自分は今、何をなすべきかと考える。「今」を一生懸命生きる原動力となる希望、しかもそれは私達を欺かない、恥をかかさない希望である。

収穫感謝の喜びの中で、私達はこの二つの希望をもって前進していきたいと願うものであります。