二つの種類

 ところでヴィクトール・フランクルも又、「希望」について、興味深い示唆を与えてくれています。彼は106年前、1905年にウィーンに生れて、フロイドやアドラーに師事した精神科のお医者さんでした。結婚して二人の子供に恵まれて、ウィーンで平和な生活を続けていたのですが、第二次世界大戦の、ドイツ軍のヒトラーオーストリア併合によって、その生活は破壊されていきます。彼の一家全員と両親は逮捕されて、アウシュビッツの収容所に送られました。逮捕の理由は、彼らが「ユダヤ人であった」ということだけです。やがて奥さんと子供達と両親は、ガス室や飢えの為に亡くなってしまいます。彼だけが奇跡的に助け出されて、戦後、収容所での体験をもとに、さまざまな著述を著し、有名な「夜と霧」を著したのです。その書物の中に「希望」についてのエピソードが記されています。
 1944年の暮から1945年の新年の間に、アウシュビッツの収容所で、大勢の死者が集中的に出た。原因は、クリスマスには自分達は解放されて家に帰れるという素朴なうわさが皆に拡がり、その希望に身を委ねた。苛酷な労働に従事し、食べ物も少なく栄養失調になり、狭い、健康的でない収容所で、伝染病もある場所で生きてきた彼らが、希望が失望に変わった時に落胆し、大勢の人が体調を崩して亡くなってしまった。
 希望が失われた時に人は生きる気力を失い、病原菌に対する力をも失ってしまった・・彼はお医者さんなので、そのような解説を加えていました。そのような体験をした後に、フランクルは収容所から解放され、ウィーンの市民大学で三つの連続講演を行いました。その中で「希望」というもの、「心の支え」というものには、二つの種類があることを語っています。