回復の預言

本日の旧約聖書イザヤ書52章は、捕囚の民であったイスラエルの民を、神様が本来の姿に戻すという回復の預言です。イスラエルの民は、再び「神の民」として、異国バビロンからエルサレムに帰還し、エルサレムの神殿において、神様を礼拝する日を迎えるという預言です。

エルサレムに、神様が「王」として帰って来るというその「良い知らせ」を伝える預言者の足は何と美しいことか、と7節から始まる喜びの知らせは、見張り(エルサレムの城壁から辺りの警護に勤める者)たちの歓声を呼び起こし、さらに、この見張りの歓声は、エルサレムの人々の喜び歌う姿へと連鎖していきます。8節では、捕囚民が解放されて、エルサレム神殿の礼拝の時に用いるさまざまな祭具を担って、バビロンからエルサレムに戻って来るのを目の当たりにすると預言します。このことは、神様が、捕囚の民を慰め、贖われた証しであって、これはエルサレムだけの喜びに終ることなく、今や、世界の国々、地の果てまでも、全ての人が、神様の救いを仰ぎ見るという力強い預言です。

この捕囚民のエルサレム帰還は、数年後に実現しました。さらにすべての人が神さまの救いを仰ぎ見るとの預言も、二千年前に実現しました。