動物犠牲による罪のゆるし

神様は「聖(きよい方)」であり、「義(ただしい方)」であり、完全な方であるのに対して、人間はあまりにも不完全で罪深く、神様との契約(約束)である律法も破り続けていましたから、その関係は断絶に近いものでした。イスラエルの人々は自分達が犯した罪を、牛や羊をささげることによって神様に赦しを乞いました。エルサレム神殿では毎日、人々を代表して祭司が神様に、「いけにえ」をささげていました。「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」(ヘブライ書9:22)からです。

しかし長い間続いた、この罪の赦しの為の動物犠牲は、イエス様の死をもって終りました。それは、動物の血によっては「決して罪を除くことは出来ない」(同10:11)からであり、イエス様が「ただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために」(同9:26)来て下さったからです。

 今日の聖書に、「あなた方がむなしい生活から贖われたのは、・・きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」とあります。 神様は独り子イエス様を地上に送られ、イエス様に全人類の罪を負わせ、この世の罪をあがなう為にイエス様を「いけにえ」とされました。それが十字架の死です。この死により信じる者すべての罪が赦されました。