万事が益となるように働く

  聖書はさらに、神様の御計画の中で導かれて、神様を愛する者とされた者たちには、その身に起こるすべてのことが益となるように共に働くといっています。多くの宗教は、信じれば良いことが起こる(ご利益がある)と勧誘します。聖書では、神様を信じれば、つらいことは何もなくなり良いことしか起こらないなどとは言いません。クリスチャンになっても、いろいろなことが起こります。(使徒パウロの人生のように・・)。苦しいこと,つらいこと、人にはわかってもらえないこと、生活の苦しみ、人間関係の苦しみ、家族の重荷、孤独や不安、さまざまな障害・・などが起こり得ます。しかし人生の中でどのようなことが起こったとしても、私達を導かれる神様は、それらすべてのことを用いて、私達にとって真の益である「救い」と「真実の命」をもたらしてくださる・・。
そのことを、信仰を与えられたクリスチャンは知っているというのです。 
困難や艱難は、それ自体喜ばしいものではありません。しかしそれらが、私達を、神様の目的に導くように用いられるというのです。ですからクリスチャンは、どのような事柄に遭遇しても、驚いたり、あわてたりすることなく、それらが自分自身の救いへの祝福へと変えられることを確信して歩み続けることが出来るのです。