「霊の変貌」は、「新生」の始まり

この内なる「霊の変貌」が、「新生」の始まりであり、信じる者の人生の前途(展望)は変わっていくのです。以前は、自己中心にあやつられ、いろいろな破壊的衝動に駆られていましたが、キリストと神の聖霊の働きを信じることによって、その人の感情は、我々を愛して下さる「神の方に」、又、「他の人々の方に」向かうようになっていきます。又、以前私達は、この世界の中に、自分だけの安全を構築しようと空しい努力を続けていたのが、私達がキリストを信じ、神との新しい交わりに入ることによって、今や私達の現在および未来の安全は、完全に打ち建てられるのです。


私達はもはや古い迷信や、偶像礼拝や数々の罪深い衝動などに縛られはしないのです。それより私達には新しい自由があるから、神が造ったこの世界で、神に結びついて生きている人として生きることが許されるのです。 
パウロは、根本的に新しい生の方向について、エフェソ書で、
私達も皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、他の人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、私達をこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいた私達をキリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして神は、キリスト・イエスにおいて私達にお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。」(2:3−7)と言っています。

この聖句はさらに続けて、私達は、キリスト・イエスを神の前に我々の代表として、神の変わらない慈愛を受ける者となる未来を待ち望むことが出来る、と述べます。