旧約聖書の申命記には・・

申命記6章の4節以下には、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」とあります。
あなたは、いつも、この言葉を語り聞かせ、自分自身も額(ひたい)につけ、家の門の柱にも書き記しなさいと言っている。神の言葉をいつも身近に置いておく。神の言葉から離れてはならないというのです。(今でも、ユダヤ人はそれを忠実に守り、祈る時は、カバンから四角い黒い小さい箱を出して、この申命記の言葉が書いてあるものを額につけたり腕にまいたりしています。又、同じような四角い箱を家の門に張っています。自分達は神様の言葉から離れない、ということを文字通り今日に至るまでやっています)。
神の言葉をいつも身近に置いておく。神の言葉からは離れないということを、イエス・キリストは、一番最初の大事な掟として語った。そして続いて「自分だけではなくて隣人をも自分のように愛しなさい」と、語った。律法学者もイエス・キリストもこの言葉がレビ記19:18の引用であることを知っていました。そしてその言葉に、律法学者は同意したのです。(ルカ福音書では、この後、律法学者が「隣人とは誰か」と質問し、イエス・キリストの、あの有名な「良きサマリヤ人」の譬えが始まります。10:25−)。
さらにこの言葉に注目するならば、隣人を愛するだけではなくて、自分のように愛する。「自分のように」ということについては、考えなければならない大事なことが込められていると思います。