「それを見いだす者は少ない」

エス様は、「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(16:24)と言われました。私達が、キリスト者になろうとする時、日本では少数者であるため迫害があります。今でも教会に行くことを家族から反対されるケースはありますし、家族や親族にクリスチャンはいないなどの理由で、洗礼を認めない家庭も多くあります。狭い門から入る者の最初の試練かもしれません。しかしどちらの門から入るかは、自分の命がかけられている問題です。狭い道を通る者は、これまで持っていたこの世のさまざまのことでふくらんだ荷物を捨てる覚悟・決断も必要です。イエス様の十字架への道は、イエス様ご自身さえ、「父よ、できることなら、このさかずきを私から過ぎ去らせて下さい」と祈られました。けれどもその直後に「心のままに」と、神様に従う準備があることを伝えています。狭い門から入る者は、この祈りに示されるように、自分の思い・願いを神様に申し上げて祈りますが、しかし最終的には神様の御心・御計画を優先させ、すべてを神様に委ねて生きていきます。この狭い門と、続く細い道を「見いだす者は少ない」(14節)現実社会の中で、私達は、神様の導きによって命に通じる道へと招かれて歩むことが出来る恵みを感謝するものです。