ゲツセマネの祈り

ゲツセマネの祈りの言葉は、「(アッバ)、わたしの父よ」と、かなりの親愛の情を含んだ呼び掛けで始まり、「あなたは何でもお出来になる」と、神様の御力への賛美が続き、そして「この杯を取りのけてほしい」(杯とは、神様が人間に与える運命・使命を指す言葉)との願いが祈られます。私達人間は、「杯を飲む」=受け入れる、か、「渡された杯を、神様が過ぎ去らせる(取りのける)」ように、祈っていくことしかできません。
 イエス様が祈られている「杯」とは、神様への不信仰を続けた人間に、本来渡されるべき「さばきの杯」のことであり、それを、神の御子でありながら、へりくだって人間となられた(フィリピ2章)イエス様が、「人々の罪の贖い主」として代わりに飲むという運命(使命)を指しています。ご自分に与えられている使命を前にしながら、しかしこの「さばきの苦い杯」を出来ることなら神様が取り除いて下さるように切実に祈られているのです。けれども最後には、「私の願いではなく、父なる神様の御心に適(かな)うことが実現されるように」と祈られました。
 ここに私達が神様に願い事をする時の、あるべき祈りの姿を見ることが出来ます。