天の国のたとえ

 今日の聖書には、天の国についての三つの譬え話が記されています。
第一は「毒麦のたとえ」です。内容は、ある人が畑に良い種をまきましたが、同じ畑に、夜の内にこっそり毒麦の種をまいていった人がおりました。そうとは知らず良い麦だけを期待していたしもべ達は、芽が出て実り始めると毒麦に気付き、急いで主人に報告します。主人は「敵のしわざだ」と言い、育つままにしておくように指示します。そして収穫の時期になったら、最初に毒麦を集めて焼く為に束にして、その後、良い麦を集めて倉に納めるように命じます。このたとえには、天の国の奥義が隠されています。弟子達は、群衆と別れて家に戻ったイエス様に、このたとえの解き明かしを求めました。

 イエス様は次のように説明されました。良い種を蒔くのはイエス様です。イエス様が蒔いた種からは良い麦だけが育ちます。良い麦とは、神様を愛し、隣人を愛し、神様の喜ばれる生き方をしたいと願いつつ生きていく者です。しかしこの世にはイエス様の敵も存在しており、人々が気付かぬ内に悪い種をまいていきます。それは良い種と同じように、人格の奥底に侵入します。欲望をかきたて、自分の利益を求め、人を憎み、人をさばき、悪魔の意志をおこなう生き方です。そして困ったことに、良い種も悪い種も同じ畑(世界)に蒔かれ、教会も例外ではないことです。 
 毒麦は雑草で、苗の時は小麦と良く似ていてほとんど見分けがつかず、穂が出て初めてそれと区別がつくそうですが、その頃には根が絡み合っています。小麦は根が弱く、毒麦の強い根が、小麦を一緒に引きぬいてしまうので、収穫までは毒麦をそのままにしておくのだそうです。たとえで、主人が、毒麦をすぐ抜くことを禁じたのは良い麦を収穫するためでした。収穫の時には毒麦は束にされ、焼かれます。イエス様は、「良い麦(正しい人々)は、父の国で太陽のよう輝く」と語られました。