死に至るまで従順に生きる。

 イエス様は、「十字架の死に至るまで従順でした」(8節)。イエス様は、神様から強いられてではなく(「神であることに固執しようとは思わず」6節)、ご自身の御意志によって、最後まで神様に従い通されました。「あなた方は、私達の主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなた方のために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるため」でありました。(?コリ8:9)。神様は、私達人間を愛するがゆえに、私達を罪の支配から神様の支配へと救い出すことを願われ、イエス様は、この御心を知り、私達に代わって、その聖い(きよい)血を流されて罪をつぐなって下さったので、私達は神様から罪を赦していただけました。この大きな愛と犠牲により、今の私達があります。神様は、従順に生きられたイエス様を、三日目に復活させ、天に高く上げられ、全世界に君臨する「主」として立てられました。私達は、声高らかに『イエス・キリストは主である』と告白し、神様をたたえます。
世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか。」