2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

行事

2月 スキー教室 8月 サマー・スペシャル・プログラム(一泊2日) 10月 芋煮会(野外礼拝) 12月 クリスマス礼拝・祝会 子供クリスマス ※東北学院、宮城学院と同じキリスト教です (ものみの塔、モルモン教、統一教会とは関係ありません)

定期集会

日曜礼拝 毎週日曜日 午前10時半−11時半 子供の礼拝 毎週日曜日 午前 9時半−10時 成人クラス 毎週日曜日 午前 10時 −10時20分 祈祷会・聖書の学びと祈り 毎週木曜日 午後 13時− 14時 全体祈祷会 毎月第一日曜日の礼拝後、共に祈ります。(自由…

日本基督教団 http://www.kohara.ac/church/kyodan/ 東北教区の教会 http://www.uccj.jp/04kyoukai/ichiran.html

特別礼拝説教要旨(説教者名五十音順)

有馬 味付子 牧師(東京・練馬キリスト教会) 2008/06/15 「人生が変わる時」 飯島 信 先生(池袋台湾教会) 2007/08/19 「主の言葉は永遠に残る」 川上麻里先生(岩沼教会伝道師) 2008/02/17 「福音のはじめ」 倉松 功 先生(前東北学院院長) 2007/05/27 …

私たちの根はキリスト・イエスであり、私たちのいのちは彼のうちに隠されている。クリスチャン生活の根はクリスチャン生活そのものと同様に隠れたものである。香柏(こうはく)の中の樹液は長く活気を失わない。クリスチャンにおいても神のいのちは彼のうちにあって常に活気に満ちている。―― 常に実を結ぶとは限らないが、内部にあって活動している。信者の徳は、その一つ一つが常に動いているのではない。が、いのちは内部において片時たりとも脈を打つことを止めない。彼は常に神によって生きている。真に健全なるクリスチャンは、その徳を彼

______________________________*流露(りゅうろ):内にあるものが、自然に外にあらわれること。

樹液はいかに神秘であろう。根は地中にはびこり、先端の小さい海綿状組織により養分をとるが、私たちは根が地中の様々のガスを吸収し、鉱物を変じて植物とする過程を見ることはできない。この作用は暗き地下でなされる。

そのように、私たちのうちにあるいのちも聖なる奥義である。聖霊が人の中に入り、その人のいのちとなることによって新生がもたらされる。しかしてこの信者の中にある神のいのちはキリストの肉と血とを食し、神の食物で養われるが、それがどこから来て又、どこへ行くかは誰にも説明できない。

樹液なくして木は栄えることも存在することもできない。活力はクリスチャンに欠くべからざるものである。そこにいのちがなければならぬ。―― 聖霊なる神に注ぎ込まれた生気がなければならぬ。さもなくば私たちは主の木たることを得ない。単なる名ばかりのクリスチャンは死物にすぎぬ。私たちは神のいのちに満たされていなければならぬ。このいのちは神秘である。私たちは樹液の循環を説き得ない。すなわちいかなる力により樹液が上り、いかなる力でそれが再び下がるかを知り得ない。

牧師のページ 2013・11月 「朝ごとに」(C.H.スポルジョン著)より 「主の木と、主がお植えになったレバノンの香柏(こうはく)とは豊かに潤され」(詩編104:16) 英訳:「主の木は樹液に満ちている」