2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧

イエス様の愛

今日の聖書では、救い主イエス様の愛が三つの形で表わされています。一つは、十字架の前を通りがかった人々から「他人は救ったのに、自分は救えない」とののしられながらも御自分の為にその御力を使うことはなかったことです。二つには、筆舌に尽くしがたい…

主に寄り頼む者の勝利

詩編22編は、ダビデ王が敵に囲まれて絶体絶命の中、神様に助けを求め、その救いを信じ続けて本当に助けていただき、そのことによって、神様を賛美する気持がわき起ることをうたっています。敵に囲まれ悲痛な心情から救いを得て、最後は神様の救いが世界中、…

「ヴィア・ドロロ―サ」(苦難の道)

裁判の場所から処刑場のゴルゴタの丘までの道を「ヴィア・ドロロ―サ」と呼ばれています。巡礼者達が主の苦難を偲んで歩む道です。 ゴルゴタの丘では、イエス様は十字架にかけられる直前、慣例に従い、没薬をまぜた葡萄酒を飲ませられようとします(十字架の…

「アレクサンドロ」と「ルフォス」の父

シモンは「アレクサンドロとルフォスとの父」と記されています(21節)。この二人の名前は、当時の教会の人々(A.D.70年頃)には知られていたのでしょう。シモンも二人の息子も異邦人伝道の初穂として、父なる神様に選ばれたのではないでしょうか。 思えば私…

キレネ人シモン

たまたまそこを通りかかった人が「キレネ人シモン」でした(キレネは今の北アフリカ)。過越祭のためかその他の理由か、エルサレムに来た目的は知る由もありませんが、シモンは人間的な見方からすれば偶然、主の十字架を肩代わりして負う役目を与えられたの…

はじめに

今年の受難節は3月5日から4月19日でイースターは4月20日です。少し早いですが、主の十字架における苦難の御姿を学びたいと思います。 イエス様は、ローマのユダヤ総督ピラトの裁判を受け、判決後に鞭を打たれました。鞭は先の方に骨片や小石などがつけられ、…

マルコ福音書15:21−32

詩編22:17−31

神からの霊を受けた者が、神から恵みとして与えられたものを知る

教会には神様の御業としての永遠の命の栄光が与えられており、その命は「キリストの体」を構成している私達(信仰者)の内面的命としっかり結びついています。この命は神様が愛する者たちに用意された命です。神様が召されるのは「この世の知恵で神様を理解…

信仰者の目

神様の御業を見ることは、普通は隠されています。信仰を与えられた者だけが、ある事柄を見て、それを神様の恵みとして喜び、感謝して受けることが出来ます。信仰者の目は時代を超えて、神様の永遠の救いの御計画を見上げることが出来ます。「この世の知恵」…

宣教

では、伝道がこの世の知恵の言葉によらないとするならば、どうやって宣べ伝えるのでしょうか。今日の聖書で、パウロは、「“霊”に教えられた言葉」(13節)によって語り、神様が、世界の始まる前から定めておられた「隠されていた、神秘としての神の知恵」(7…

はじめに

使徒パウロは、熱心なユダヤ教徒であり、又、ファリサイ派の指導者として有名なガマリエルの門下生として厳しい教育を受けてきた人です。 「自分は律法に関しては非の打ちどころのない者であった」と自己紹介しているほどです。その彼が、イエス・キリストに…

コリント一 2:6−11

箴言1:7、2:1−12

救いの御業

神様の救いの御業は、預言により前もって知らされ、天使による夢のお告げ、星の動きや人間界の出来事までも用いられて、信仰者を通して実現していくことを聖書は何度も示しています。私達も一つ一つの出来事を、表面的な感情だけで反応するのではなく、神様…

『ナザレの人イエス』と呼ばれた主

今日の聖書の直前に、夢で天使からヘロデ王の殺意を知らされ、両親は幼いイエス様を連れてエジプトへ逃げたことが記されています。その後、再び天使からヘロデ王の死によって、イスラエルに戻るよう示されます。イエス様の父なる神様は、御子イエス様を「ガ…

神にささげられた、聖別された人

又、「ナザレ」の発音と「ナジル」の発音は似ています。「ナジル人」(アラビア語のナザラが語源)には、「誓われた者」という意味があり、ここから更に発展して「神にささげられた人、聖別された人」と言う意味があるそうです。ここでは、ナザレ人イエス様…

「ナザレ」は預言の成就

その一つは、今日の旧約聖書イザヤ書11:1に、「エッサイの株から出る若枝」とあります(エッサイはダビデの父)。「救い主」はダビデの子孫から生まれるとイスラエルの人々は信じてきました。「若枝」(ネ―ツェル)」も「救い主」を表し、また、「若枝」と…

はじめに

「ナザレの人イエス」…イエス様は、生前このような呼び方をされることがありました。私達信仰者はイエス様のことを「イエス・キリスト」と呼びます。「キリスト」とは、「救い主であるイエス様」という意味です。私達が「イエス・キリスト」という時、それだ…

マタイ福音書 2:19−23  

イザヤ書11:1−5

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

私達は、イエス様の十字架を通して、イエス様によって、神のものとされました。私達を神様から隔てていた罪を、イエス様の十字架により取り除かれました。イエス様が御自身の血をもって、そのような尊い犠牲の代価を払って下さったことにより、私達は神のも…

反論の根拠

パウロは、不品行を戒めなければならない四つの理由を挙げます。 1.私達の体は、主の栄光を現す為にあること。2.私達の体は、主への奉仕の為にあること。3.私達の体はキリストの体の一部であること。4.性的不品行は、私達の全人格を破壊する行為であ…

すべてのことがゆるされている

信仰者であるにもかかわらず性的不品行を行なう人達は、自分のしていることを悪いとは考えていませんでした。彼らの口癖は「私には、すべてのことが許されている」でした。彼らは当時はやりの思想であった「霊と肉を分けて」考え、「自分達はイエス・キリス…

はじめに

今朝は、コリントの教会のクリスチャンにあてたパウロの手紙から学びたいと思います。コリントの町は、東洋と西洋の中継地として栄え、経済・文化・宗教などギリシャと東方の思想が出会う場所でした。パウロが伝道した当時、東西南北の交通路の交差点という…

コリント一 6:12−20   

歴代誌上 29:10−20