2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧
最後に読み取りたいのはイエス様の主権です。「ユダの接吻」では、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われました。(他に、「あなたは何の為にここにいるのか、そのことをやれ」との訳があります)。「弟子の抵抗」に対しては、「願うなら、父…
三つには「剣や棒でイエス様を捕えにきた当局者に遣わされた群衆」の姿です。イエス様には武力でしか立ち向かえないという彼らの弱さの表われです。しかも夜ひそかに、です。彼らが正しいことをするのであれば明るい時に堂々とやったでしょう。彼らはそれが…
二つには「弟子による抵抗」(51節・ヨハネ福音書ではペテロ)です。ペテロはイエス様と生死を共にする決意を述べていました(「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても・・」)から、この場でもイエス様をお守りするという覚悟だったのでしょう。しかし…
「こんばんは」と訳されている原語は「喜びあれ」という意味があり、普通のあいさつ言葉として使われていました。(口語訳では「先生いかがですか」、文語訳では「ラビ、安かれ」)。ヘブル語のシャロームと関係ある言葉だそうです。この相手への挨拶と信頼…
一つは「ユダの接吻」です。ユダは銀貨30枚と引き換えにイエス様の居場所を密告する約束をしていました。時は過ぎ越しの祭りで、町は巡礼者でごったがえしており、イエス様を捕えることで町が騒ぎになることを恐れたユダヤの当局者は、人に知られず、失敗し…
本日の聖書箇所には、イエス様がユダヤ当局者から捕えられる場面が描かれています。神の国について宣べ伝えていたイエス様が、どのようなプロセスを経て十字架という極刑につけられて殺されたのか、福音書にはくわしく(26章から7頁にわたり)記されています…
47 イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。 48 イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、…
仕事やこの世での生活で大変な思いをされている人が多いと思います。しかしそこに埋もれないで、心を神様に向け続けて下さい。イエス様はそのために、あなたを救いに入れるために福音を宣べ伝えて下さったのです。説教題の「福音伝道に必要なもの」。「もの…
今日の聖書に「人間をとる漁師」という表現がでてきます。「漁師」ということで、今日の旧約聖書のエレミヤ書などでは、敵を表現するもので、あまりいい意味はありません。「漁師」ではないのですが、わたしもかつて、この世で、人をとる仕事をしていました…
「イエス様の福音に触れ、従う」という大きな決意をします。「悔い改め」です。「主の教えを学べる立場」になります。これが、「礼拝をささげて、説教を聴き、御言葉の解き明かしを聴く」ことになります。そのような恵みにありながら、時々主の意にそぐわな…
二組の兄弟は、主の召しにすぐに答えそれまで積み重ねてきたものすべてを捨てて、主に従うという行動をしました。「主の召しに答える」ということでは、アブラハムやモーセの信仰を思い起こします。主が安住の地に導くことを約束され、それをひたすら信じて…
イエス様は、まず御言葉を宣言されましたが、次になさったことは、弟子の獲得でした。地上に基盤を立て、伝道するための礎となる人々を探し出すことでした。神様の御用の為に働くのであれば、イスラエル社会ではレビ族出身者ときまっていました。しかし、イ…
これは確信を抱くとか、信頼するという意味を含んだ言葉です。「そうである!」と強く思い、それをプラスに受け取っていく意味です。讃美歌や祈りの最後の「アーメン!」は、「まさにそうです!」という意味です。私達は礼拝や信仰生活の中で、神様やイエス…
福音とは「よき知らせ」という意味です。神の「よき知らせ」=神様が罪の世界に陥った人間を救うべく計画を立ててくださり、御子イエス様をこの世に送り、イエス様の十字架上での死によって、人間すべての罪を贖ってくださったこと、そして、その死にも打ち…
「大きな悔い改め」が求められる時があります。生き方の大いなる方向転換の時です。つまり、イエス様を「主」として「キリスト」として受け入れていく決意をする時です。多くの人はイエス様の御言葉や生き方や聖書を通じてその決意が与えられます。「与えら…
『悔い改めて』は、誤解しやすい言葉です。「してはならないことをしてしまった」「良くない思いを心に抱いてしまった」ことを後悔することや、“反省”して落ち込むことでもありません。神様がイエス様を通して語られた「悔い改めなさい。神の国が近づいたの…
『時』とは「神様が定められた時」という意味があって、ここでは、父なる神が御子を世に遣わし、罪深い人間達すべてを救おうと予めご計画されていた時がついに来た!との宣言です。『神の国は近づいた。』は、イスラエル民族が期待していた、メシアの政治的…
今日の新約聖書の箇所は、イエス様が「ガリラヤで伝道を始める」ことと「四人の漁師を弟子にする」内容が書かれています。ここで、イエス様の第一声が明らかになります。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」です。
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、 15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。 16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖…
16 見よ、わたしは多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、わたしは多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。 17 わたしの目は、彼らのすべての道に注がれている。彼らはわた…
「全くあれ」という主イエスの教えは、私共にとっては不可能なことでしょう。但し主イエスが律法の完成者(律法を成就した律法の終り)ですから、キリストにさえ従えばよい、キリストを受け入れさえすればよろしい。神の言葉を受け入れる、神の言葉を聞く、…
このことをキリストの語られる話から考えてみますと、「神の求めている義」というのは、「キリストを告白する」ことでありますけれども、しかし、神の義そのものは、律法によって「神に仕え、神に従うこと」を求めており、「天の父が完全であられるように、…
しかし良心は、悪を指摘し、間違ったということを自覚せしめますが、罪の自覚を生じるまではいきません。律法はキリストに導く教師・案内係かもしれませんが、すぐはそういきません。パウロはキリストに出会って、キリストの救いをいただいて、「律法は罪の…
ただし良心は一つのことだけ知っているわけではありません。善と悪についても、さまざまなことを知っている。その良心が属する集団、社会、国によって必ずしも同じとはいえないかもしれません。にもかかわらず、「良心」は誰でもが生まれながらにして持って…
律法に何が書いてあるかは別として、私達の良心が律法を証しする、律法と同じことをする、ということが付け加わっています。これは日本人として大切なことです。日本には「律法」という言葉はないので、律法がわからない人でも「良心」ならわかります。パウ…
モーセの十戒には、律法の全体がよく示されています。前半は「心をつくし、精神をつくし、力をつくして汝の神を愛せよ」=「主を畏れ、従いなさい」という戒めであり、後半の人間に関する戒めは、「汝の父母を敬え」(五戒)以外は、○○してはならないという最…
どういうふうに律法は養育係、案内役になるかというと、まず第一に、律法はキリストに導く反面教師ということです。「なぜなら、律法を実行することによっては、誰一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」(3:20…
21節には、律法は福音(キリスト)の証人となるということが書かれています。パウロは同じことを別の言葉で・・「律法は、私達をキリストのもとへ導く養育係」(ガラテヤ3:24)といっています。さらにもう一つ、パウロは大事なことを言っています・・「キ…
前回(4月20日の礼拝説教)、ロマ書1章17節で「神の義とは『福音』である。『イエス・キリスト』である。」ということを学びました。本日の聖書の冒頭には「今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。」とあり…
21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。 23 人は皆、罪を犯し…