2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

船路

この船旅は非常に厳しい苛酷なものとなりました。船には276人乗っていましたが、冬の初めに何週間も吹き荒れる嵐「エウラキロン」の中に突入してしまったのです。船は流れにまかせ、積み荷も船具も投げ捨て、幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹き…

船出

今朝の聖書は、パウロがいよいよローマ皇帝に直訴するため、囚人としてイタリアに向かって船出したところから始まります。船旅の責任者は、百人隊長ユリウスでした。彼はパウロを親切に扱い友人の所へ行くことを許可してくれました。このことによりパウロが…

インマヌエル(神、我らと共にいます)

大地震の後、この伝道所には三人の若い妻達が集まりました。彼女達の夫はそれぞれ県外に出張中でしたので、電話が通じず、安否確認が困難な状態に陥りました。電話をかけることが出来なかった中で、突然博子姉宅の電話のベルが鳴りました。後でわかったこと…

はじめに

受難節第3聖日の礼拝を、こうしてご一緒に守れることを感謝致します。私達は今回の大地震によって何を学び、又、何を神様からいただいたでしょうか。私達は神様から戴いた恵みを忘れやすいので、今日は先ず、私の見た「神様の恵み」をお話したいと思います。

27章1−26節

1 わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。2 わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港…

46編2−8節

2 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。3 わたしたちは決して恐れない/地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも4 海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも。〔セラ5 …

ペトロの二重のあやまち

イエス様の苦難と死の予告に対して、ペトロはイエス様を脇へお連れしました。これは、「主イエス様を中心とし」ていない姿です。さらにペトロは、イエス様の言葉をいさめました。イエス様のお言葉が、自分の考えや期待とは違っていたからです。私達もペトロ…

「誰にも話さないように」

イエス様は、ご自分がメシアであることを誰にも言ってはならないと命じられました。イエス様がメシアであることをこの世が受け入れるには、まだ時が来ていなかったからでしょう。31節で語られた「多くの苦しみを受け、殺され」るメシアは、人々の予想とはあ…

「あなたは、メシアです」

「メシア」とはヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。イスラエルの人々にとって油を注がれた人は、神様からの特別な使命の為に選ばれ、それを果たす為に神様から特別、力を与えられた存在でした。イスラエルの人々の「メシア」信仰は、BC千年頃栄え…

「それでは、あなた方は?」

今日の聖書で大事なのは、「あなた方は私を何者だと言うのか。」との問いと、「あなたは、メシアです」というペトロの答えです(29節)。イエス様の、「私に従ってきたあなた方は私のことをどう認識しているのか」というこの問いこそ、神様が地上に神の国の…

「人々は私のことを何者だと言っているか」

今日の聖書は、イエス様がフィリポ・カイサリア地方に出かけられた時のことです。ここは、イエス様が宣教活動されてきたガリラヤ湖周辺より北40キロにある異教の町でした。ギリシャの神々の一つである牧羊神パーンやローマ皇帝が神として祭られていた所で…

はじめに

先週の水曜日(9日)から、主イエス様のご受難を覚えて過ごす受難節に入りました。初日は「灰の水曜日」と言われ、「灰をかぶって我が身の罪を嘆くほど深く悔い改める」ことをもって始めますが、受難節三日目に今回の東北関東大震災に見舞われたことに、神…

8章27−33節

27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』…

23章5−6節

5 見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え/この国に正義と恵みの業を行う。6 彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

必ず終りは来る

今日の聖書は、この救いに入ることの出来る期間は、永久に続かないこと、ある時、思いがけない時に閉じられることを警告しています。実際、宮城県沖地震のような大きな地震は確実に近いうちに来ると言われていました。しかし私達は、地震がくることを知識と…

偉大な神様の御業

私はこの地震で、停電の暗闇の世界から朝の光の世界に移って行くのを見ました。そしてやみから光を輝き出させた神様の偉大な業(創世記1:3)をほめたたえました。人間の誰が、この光を創り出すことができるでしょうか。神様しかおられません。地震で経験し…

予備の油

「予備の油」とは具体的には何を意味しているのでしょうか。何か立派な行為でしょうか。行いでは救われないと聖書は語ります。なぜならファリサイ派のように、表面だけをきれいにみせる偽善の行いがあるからです。では何か。「祈り」だと考える人もいます。…

天の国

これは、天の国の譬え話とあります。天の国とは、神様が支配されておられるところで、度々、結婚式の祝宴に譬えられる喜びに満ちた場所です。イエス様は、そこに入ることの出来る人について語っておられるのです。 多くの人々は、死んだら天国に行かれると思…

賢いおとめと愚かなおとめ

次に読みました新約聖書も又、よく知られているイエス様の譬え話です。「賢い」というのは、頭が良いとか知識があるという意味ではなく、読んでおわかりのように、ランプの光を必要としていた最も大切な時に、ランプの光を確保し、祝宴の席に座ることの出来…

災いを恐れない

この作者の信仰告白は、私達の信じる神様がどのような神様であるのかを力強く伝えています。そして私達がこの神様を信じる限り、どのような状況の中に置かれても、平安を失うことはありません。私達も又、「たとい我、死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れじ」…

詩編23編

今日読みました詩編23編は、試練の中にある人々を慰め励ましてきた詩編として、よく知られています。作者は自分を羊にたとえて、主は羊飼いであり、私には何も欠けることがない。主は私を、柔らかい草の生えている場所で、草を食べさせ、身を横たえることの…

万事が益となるように共に働く

ロマ書には、「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを私達は知っています」とありますが、この御言葉が本当に真実であることが、この数日おこりました。地震時にはここにおられる三人の方の…

はじめに

この大地震の中にあって、このように守られて、礼拝をいつものようにおささげすることが出来ることをまず最初に神様に感謝致します。そして、今日までに、ここにおられる方の御家族の安全の確認が出来たことを神様に感謝いたします。又、伝道所の会員であるA…

25章1−13節

1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4 賢いおとめた…

23編

1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。4 死の陰の谷を行くときも/わたしは…

救いのチャンスを無駄にしないためには

このあと、アグリッパ王は席を立ち、パウロの話は終りました。王は、パウロの語る真理の世界(光の世界)から逃げて、再び暗闇の世界に帰ってゆきました。「あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない」と評論家のように語り、自分が救いのチ…

パウロの訴え

私達も又、この王のように、真理の言葉を聞きながら、そして自分に問われているのに他人事のように聞き流してしまうことが多くあるのではないでしょうか。根拠のない安心感の中にいた王は、「短い時間で・・」と、答えないことの弁解をしましたが、パウロは…

短い時間で・・

ところが話を聞いていた総督が大声で、「お前は頭がおかしい」と話を中断しました。パウロは総督に、自分は真実で理にかなったことを話していると答えた後、今度はアグリッパ王に向かって、「ユダヤ人なら誰でも知っているイエス・キリストの十字架と復活、…

はじめに

総督がアグリッパ王の願いを受けて、町の主だった人々も集めてパウロを鎖をつけたまま引き出し話をさせた時、パウロはまず、自分がユダヤ人として幼い時から旧約聖書を学び、厳格なファリサイ派の一員として律法に忠実に従い信仰生活を送ってきたこと、そし…

26章24−32節

24 パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話し…