2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

死に至るまで従順に生きる。

イエス様は、「十字架の死に至るまで従順でした」(8節)。イエス様は、神様から強いられてではなく(「神であることに固執しようとは思わず」6節)、ご自身の御意志によって、最後まで神様に従い通されました。「あなた方は、私達の主イエス・キリストの恵…

「へりくだって」

神の御子が神の身分を捨てて、私達と変わらない人間となられたことは、それだけで「へりくだり」の生涯ですが、さらにご自分を高い地位に置くことをせず、徹底してご自分を低くされました。一般社会の人々よりもさらに低く、公の生涯に入られてからは、ひた…

イエス様とは誰で、何をされたお方か。

今朝のフィリピ書には、私達が信じるイエス様はどういうお方であるかが述べられています。6節に、「神の身分でありながら」とありますから、イエス様は神です!7節に、「自分を無にして、人間と同じ者になられた」とあります。神が、私達と同じになる・・!…

受難週

エルサレム入城後、イエス様はユダヤ教の指導者達から遣わされた人々によって捕えられ、ユダヤの最高議会で裁かれて死刑が宣告され、更に、ローマ帝国からの許可をとるためユダヤ総督ピラトのもとに送られ、死刑が確定し、わずか6日後の金曜日に十字架刑で殺…

はじめに

今日は、「しゅろの聖日(主日)」です。今日から受難節の、最後の一週間が始まります。イエス様がエルサレムの町にロバの子に乗って入城された時期、ユダヤでは「過越しの祭り」(ユダヤ教の三大祭の一つ)のため、大勢の人々がエルサレムに集まっていまし…

フィリピ2:5−11

イザヤ書53:1−5

人間の肉体をとって世に来られたイエス様

主の埋葬には様々な人物が関わりましたが、最も思い起こすべき御方は、私達の救い主イエス・キリストです。イエス様は、神の御子でありながら、へりくだって人間として歩まれたことに感謝したいと存じます。ご誕生の時も旅先の家畜小屋の飼葉桶に寝かされる…

マグダラのマリアとヨセの母マリア

主の十字架上での壮絶な死と埋葬を見守り続けたのは、主に従ってきた女性達でした。彼女達はユダヤ社会の律法では、希望を持つことができない者達でした。しかし、主の福音に照らされると、女性であるいう条件は、何の障害にもならなくなりました。主を信じ…

ピラトと百人隊長

イエス様の埋葬を巡って、十字架刑の判決をしたローマ帝国総督のピラトと、部下の百人隊長が再び登場します。ピラトは最後までイエス様の不思議さに捉われながら、神の御子と認めませんでした。一方の百人隊長は、イエス様を「神の子」と既に信仰告白してい…

主の十字架刑でも希望を失わなかったヨセフ

弟子達が主の十字架刑が現実のものとなった時に絶望してしまったにもかかわらず、アリマタヤのヨセフは「神の国を待ち望む」希望を捨てませんでした。このことも神様は受け取られたのでしょう。主は、至らないところを裁く方ではなく、僅かばかりの良いとこ…

アリマタヤのヨセフの働きと神様の御計らい

有力議員ということは、地位に伴い、多くのお金も持っていることになります。そのような者は、多くの場合は思い上がっており、それをひたすら自分のために用いるために、神様からの祝福がないのです。しかし、この時、アリマタヤのヨセフは、富も地位も自分…

はじめに

今日の新約聖書箇所では,私達の主イエス・キリストの遺体の埋葬の様子が詳しく証しされています。十字架の少し前のイエス様逮捕の時から、ぺトロを初めとする「弟子達」は逃げ去りました。彼らとは違った人物として、アリマタヤのヨセフの働きが新たに記されて…

マルコ15:42−47

イザヤ5:8−16