2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」

「そうすれば」とは、「イエス様のくびきを負ってイエス様に学ぶなら」、ということです。イエス様が約束される休息と平安は、この世の与えるものとは違います。なぜならそれは神様からくる休息と平安だからです。肉体の疲れは肉体を休めることで解決します…

「わたしは柔和で謙遜な者だから」

柔和な人とは、自分を神様の貧しいしもべとして、神様の意志に完全に従順に従う人、それゆえに、隣人に対しては怒りや傲慢な思いを抱かない人のことです。それは、ほとんど「謙遜(けんそん)」と同じ意味といえます。イエス様は小さい者や弱い者をも大切に…

「わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい」

「くびき」とは、畑を耕したり車を引かせる為に、牛などの家畜の首に棒をはめる木製の道具で、家畜を服従させ、仕事をしやすくする道具です。イエス様は「私のくびきは負いやすく、私の荷は軽い」と言われます。

はじめに

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いか…

マタイ福音書 6:5−15

詩編95:1−7

み言葉と共に働く聖霊 

第一に、聖霊が共に働く御言葉は、神の、旧約聖書における約束・預言です。そして第二に、旧約の約束が実現された福音です。そして第三に、その福音を私達に悟らせ、受け入れさせ、告白させる。 これらの三つの「み言葉」と共に働く聖霊によって、教会は生れ…

第三は、「キリストの証しを語るみ言葉」を確信させる聖霊

三つ目は、福音(キリストによる救いの出来事・事件)を私達に悟らせ、その言葉を私達に確信させる=それを信じる、信じる気持が起こる、告白をする。それを受け入れさせる力、働きをする聖霊です。これは、私達の力ではありません。信じようと思って信じら…

第二は、神の約束がキリストに於いて実現された!

旧約で預言されていた「苦難の僕」としてイエス・キリストは十字架にかかって、お亡くなりになった。そして復活して昇天された。そのキリストが、実際に行なったキリストの救い主としてのわざ、救い主としての 生活・歩み。それが使徒達の語った二番目のこと…

第一は、旧約聖書の約束

第一は、イスラエル民族、族長達、とりわけ詩編やイザヤ・エレミヤ・エゼキエルなどの預言者達によって、神の救いの約束が語られています。旧約の預言、旧約の約束、イスラエルを悔改めさせ救うという、神の救いの約束が語られています。たとえば、イザヤ書6…

今日の聖書

今朝読んだ聖書の箇所は、使徒言行録2章1節以下の、ペンテコステの聖霊降臨後に、弟子達が語った説教、小説教、弁明の最後の部分であり、大祭司の尋問に対するペトロの弁明、答えです。 その話の内容は三つあります。

み言葉

以上のことを前提として、今朝の主題である「み言葉と共に働く聖霊」の、「み言葉」とは何かを考えます。 創世記冒頭に「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。」とあります。ここで神が言葉を発しています。ここに明確に神の語る言葉があります。…

神の小羊

キリストは、弟子達と共に、過越の祭りを祝って食事をします。その後、父なる神から与えられている、救い主としての最後のわざ=十字架にかかり復活なさる=を遂行していくわけであります。 そのキリストが、ヨハネ福音書によれば「見よ、世の罪を取り除く神…

過越の祭り

過越の祭りとは、イスラエルの人々が、苛酷な奴隷の労働を強いられていたエジプトから脱出する時のこと、神は、エジプト人を懲らしめなければイスラエル人のエジプト脱出は不可能であったことから、さまざまな災いを下しました。その最後の災いがエジプトに…

はじめに 

本日は、ペンテコステの礼拝を共に守っております。ペンテコステというのは、五旬節(ごじゅんせつ)のことで、50番目・50日目という意味があります。いつから数えて50日目かというと、ユダヤの三大祭りの一つである「過越(すぎこし)の祭り」から数えて50…

使徒言行録5:27−32

エゼキエル書36:26−28

主の御前における命

父なる神様は、御子の命を犠牲にしてまでも、私達人間が神の国の民として生きるように、救いのご計画を進められました。私達の汚れた罪を、イエス様が十字架の死で肩代わりして下さったことにより罪が赦されたのです。「イエス様は神様から遣わされた救い主…

議会の決定

ラザロの復活を多くのユダヤ人が目撃して、その内の多くの人々がイエス様を信じました。しかし中には、イエス様を良く思っていないファリサイ派の人々にこのことを報告した人がいました。彼は本当に大事な事=「イエス様は神様から遣わされたメシア」に気付…

私達にも起こった奇跡

しかしそれは同時に、私達一人一人の人生に起こった「奇跡」をも指しています。救い主イエス様と出会う前、私達は表向きはともかく心の奥底では、この世の価値観や罪の世界にがんじがらめになって、本来の自分を輝かせて生きていなかったのではないでしょう…

神様への絶対的信頼

この出来事の前にイエス様は、自分の願いは必ず叶(かな)叶えてもらえるとの、神様への絶対的信頼を表明しています。神様の御心を第一として歩んでおられるイエス様には、「神様の栄光を現わす出来事は願う前から叶う」という確信がありました。そしてイエス…

神の栄光

イエス様はマルタに、「もし信じるなら、神の栄光が見られると言っておいたではないか」と言われました。神様の御力を奇跡で示し、人々に信じる気持を起こさせ、信じる者に永遠の命を授ける・・。そのことが「神の栄光」であると読み解けます。イエス様は、…

はじめに

前回は、ラザロの姉妹マルタがイエス様に、「あなたがこの世に来ると預言されていた神の子・救い主と信じています」と告白をしたことに注目しました。その後、イエス様が死んだラザロに対して、神様の御業をなさるため墓穴に入ろうとされた時、信仰告白をし…

ヨハネ福音書11:40−53

イザヤ書49:5−6

主の祈り

ルカによる福音書によれば、弟子の一人が「私達にも祈りを教えて下さい」とイエス様に頼んだ時、教えられたのが、この「主の祈り」です。 「天におられる私達の父よ」は、神様が、私達を越えて天に高くおられると同時に、父のように、すぐ近くにおられる方と…

祈る時

イエス様は、「あなたが祈る時は、奥まった自分の部屋に入って、戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。」と教えられます。「奥まった自分の部屋」と訳されている言葉は、パレスチナの小さな貯蔵室で、そこは誰にも見られることのない場所で…

偽善者のように祈るな

祈りは、天におられる神様に向かって捧げられるものです。イエス様がここで教えられたのは、祈る人の心が純粋に神様に向けられているかということです。当時、自分の祈る姿を人に見てもらい、周囲の人にも祈りを促すために、わざわざ人通りの多い場所を選び…

はじめに

私達の信仰生活に不可欠なのは、「御言葉」と「祈り」と言われます。 御言葉は食べ物、祈りは呼吸にたとえられます。イエス様の時代、ユダヤ人は毎日祈る時、必ず唱えるものが二つありました。一つはシェマー、もう一つはシェモ―ネ・エスレーと呼ばれるもの…

マタイによる福音書6:5−15