2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

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日本基督教団信仰告白の引用箇所 ・・神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信じる信仰により、我らの罪を赦して義としたもう。この変らざる恵みの内に、聖霊は我らを潔(きよ)めて義の果(み)を結ばしめ、その御業を成就したもう。・・」 七つの悔い改め…

最後に聖書をお読みします。

「“霊”も弱い私達を助けて下さいます。私達はどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。霊は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成して下さるからです。神を愛する者たち、つまり、ご計画…

私達の生きる枠

私達は霊の初穂を与えられ、信仰によって義と認められ、御霊である神の言葉<聖霊が働く聖書と説教という神の言葉>によって守られている、ということの中で聖化の歩み、聖霊のもとに導かれる歩みをすることが赦されています。これは大きな私達の枠です。私…

アウグスティヌスの御言葉とのかかわり

あの有名なアウグスティヌスは、死の病床に横たわりながら、壁に七つの悔い改めの詩編を書き並べて貼っていたと愛弟子ポシディウスは書いています。それはアウグスティヌスにとって大きな感謝、大きな安心の拠り所であったと思います。同時に自らを悔い改め…

三つのキーワード

今朝の聖書には三つのキーワードがあります。1「霊の初穂」(23節)。2「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます」(同)。3「万事が益となる」(28節)です。 「霊の初穂」。これは、キリストを信じることによって義とされることを受け…

私達の罪が、キリストに転嫁された!

キリストを信じることによって私共が義とされるのは、神の義から見て義しいとされるのですからこれは大変なことです。それがどうして起こるかというと、キリストが私達の罪を負う。その時キリストの持っている神の義を与えて下さる。私達の罪とキリストの義…

体験に基づく聖書の読み方

この体験によってルターの聖書の読み方がすっかり変りました。福音から聖書を読む。聖書に出てくる神の平安とか、神の宥(なだ)め、神の憐れみとは、イエス・キリストにおいて現れた神の平和・平安、憐れみです。山上の説教に「柔和な者は幸いである」とあり…

ルターの体験

体験のきっかけとなった聖書は、ロマ書1章17節「神の義は福音において示された」です。福音とは1章の初めにあるように「キリストに関するもの」(3節)「キリストそのもの」です。ですから「神の義は、イエス・キリストにおいてあらわされた」ということに…

95カ条の提題を出さざるを得なかった理由

95カ条の提題を出す以前に、ルター自身の中に宗教改革的な体験・思い・認識があったということです。それがあって始めて単なる批判ではなくて主張・提言を含む提題を出すことが出来ました。ルターはどのようにしてイエス・キリストと新しく出逢ったのでしょ…

95カ条の提題

この冒頭すなわち第一カ条に記されているのが「私達の師にして主であるイエス・キリストが『悔い改めよ』(マタイ4:17)と言われた時、主はそれによって信じる者の全生涯(洗礼を受けた時から地上の生涯を終えるまで)が悔い改めであるべきことを求めておら…

はじめに

今から491年前、1517年10月31日に、マルティン・ルターが95の文章をヴィッテンベルク大学のある町の領主の居城の教会堂の扉に貼り付けたというこの事件をきっかけとして、宗教改革が始まりました。それから150年後、ドイツ、フランス、スイスなどのプロテ…

 8章23−28節

23 被造物だけでなく、““霊””の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希…

 18章30−32節

30 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。31 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて…

神の国を広めるために

しかし彼は自分の喜びを話す事を優先します。彼の行動でイエス様の御働きに支障が出ました。評判がいよいよ広まり人を避けねばならなくなったことです。町の外の,人のいない所に退かれるイエス様。人が神様の言葉に従わない結果をイエス様が受けておられるの…

イエス様との出会い

彼は治りたい一心で、神様から来るその癒しの力に全幅の信頼を寄せ信仰を表明しました。イエス様は「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ。』と言われ」(41節)ますと、たちまち皮膚病は癒されました。病が癒される3つの要素…

重い皮膚病

40節以下に「重い皮膚病」(以前はらい病)の人がイエス様のもとにやってきたことが記されています。皮膚病は、他と比べると見た目で分かりやすく明らかに普通と違います。さらに当時のイスラエル社会においては重い皮膚病患者は「聖なる民族」にふさわしく…

イエス様のお答え

イエス様は、「近くの他の町や村に行こう。そこでも私は宣教する。その為に私は出てきたのである。」(38節)と言われました。イザヤ書に「私を遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせる為に・・」(61:1)と、ありますが、この「貧しい人」とは経済的な…

弟子達の思い 

弟子達は、神の国を広めるイエス様のお働きの大切さを理解することは出来ませんでした。多くの人がイエス様を賞賛し,権威あるお姿に感動し,その癒しに感謝している。これが続いてほしい・・。「皆が捜しています。」(37節)の言葉の背後には、弟子達が輝か…

はじめに

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(35節)。その光景を想像して下さい。私はこの箇所で、いつも心洗われる心地がして胸がふるえます。神の御子たるイエス様が父なる神に祈られている。人里離れた…

 1章35−45節

35 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 36 シモンとその仲間はイエスの後を追い、 37 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。 38 イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そ…

 61章1節

1 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。

神殿の幕

イエス様は再び叫び声をあげられ、息を引き取られました(50節)。その時、神殿の幕が上から下まで裂けたとあります。これはエルサレム神殿の一番奥にある至聖所と聖所を隔てる幕のことで、至聖所には一年に一度だけ大祭司が人々の罪のあがないの為に入るこ…

十字架の意味

歴史的に見るならば、罪のないイエス様を十字架につけたのはイスラエルの宗教指導者達であり、ピラトであり、十字架につけよと叫んだ群衆であるといえるでしょう。しかしその一方で、イエス・キリストの受難と十字架による死は、すでにイエス様ご自身の口か…

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」

今日の聖書の箇所は、十字架上のイエス様を伝えている個所です。昼の12時に全地が暗くなり3時に及んだとあります。暗闇は悪の力の最後の時であり、神様がこれまでの世界秩序に終止符を打つしるしといわれます。3時頃、イエス様は「わが神、わが神、なぜ私を…

何を伝えるか

福音の内容は、私の罪(そしてすべての人の罪)が神に赦されたということです。私達人間は生まれながらに罪人です。「私達には創り主なる神様がおられる」ということを聞いても信じようとしない。聖書で語られる罪とは、神に対する不信仰と不従順です。人間…

はじめに

本日は、日本キリスト教団が定めた伝道献身者奨励日であり、神学校日です。伝道者奨励日とは、神様があなたを伝道者として召しておられるかもしれないということを考えていただく日であり、又、献身して神学校で学んでいる神学生や神学校を覚えて祈り、応援…

 27章45−56節

45 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。 46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 47 そこに居合わせ…

私達人間の罪

「お前が本当に神の子なら・・してみろ」との言葉は荒野の誘惑の、サタンの言葉でもあります。命の与え主である神に、そして人間を愛し、私達を罪から救う目的で遣わしたイエス様に、人間は罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせます。十字架を取り巻く人々の中…

十字架を取り巻く人々

ゴルゴタの刑場に着いたイエス様は、兵士の差し出した苦い葡萄酒を飲みませんでした(苦みは感覚を麻痺させる物質)。そして残酷な十字架につけられたのでした。兵士達はイエス様が身につけていた衣をくじで分け合い、座って見張りをしました。刑場を通りか…

シモン

ある神学者はシモンについて、「強いられた恩寵」という言葉を使います。いやいやながら負う重荷が、結果として恵みに満ちた力に触れることになるという意味の深い言葉です。パウロの手紙にはシモンの息子や妻がキリスト者として登場します(参照:マルコ15…